アッツ島血戰勇士顕彰國民歌

朝日新聞社選定  巽久信 作詞  山田耕筰 作曲
唄 伊藤武雄・伊藤久男・波平曉男



刃も凍る 北海の
御楯と立ちて 二千餘士(余士)
精鋭こぞる アッツ島
山崎大佐 指揮をとる
山崎大佐 指揮をとる

時これ 五月十二日
曉こむる 霧ふかく
突如と襲ふ 敵二萬
南に邀(むか)へ 北に撃つ
南に邀へ 北に撃つ

陸海 敵の猛攻に
わが反撃は 火を吐けど
巨彈は落ちて 地をえぐり
山容 ために改まる
山容 ために改まる

血戰死鬪 十八夜
烈々の士氣 天を衝き
敵六千は 屠れども
我また多く 失へり
我また多く 失へり

火砲はすべて 砕け飛び
僅かに 銃劍 手榴彈
寄せ來る敵と 相撃ちて
血潮は花と 雪を染む
血潮は花と 雪を染む

一兵の援 一彈の
補給を乞はず 敵情を
電波に託す 二千キロ
波頭に映る 星寒し
波頭に映る 星寒し

他に策なきに あらねども
武名は やはか汚すべき
傷病兵は 自決して
魂魄(こんぱく) ともに戰へり
魂魄 ともに戰へり

殘れる勇士 百有餘(余)
遙かに皇居 伏し拜み
敢然 鬨と諸共(もろとも)に
敵主力へと 玉砕す
敵主力へと 玉砕す

あゝ 皇軍の神髄に
久遠(くをん)の大義 生かしたる
忠魂のあと 受け繼ぎて
撃ちてし止まむ 醜(しこ)の仇
撃ちてし止まむ 醜の仇







アッツ島は,アリューシャン列島西端に位置する.
18年5月12日,米軍1万1000が上陸した.
対する日本軍は,山崎保代大佐以下2500.
当初は増援を送る予定であったが,
23日,大本営は,
「最後ニ到ラバ潔ク玉砕シ,皇國軍人ノ精華ヲ発揮スルノ覺悟アルヲ望ム」
と電報.
山崎大佐は,
「ソノ期到ラバ,在島將兵全員喜ンデ一丸トナツテ死地ニツキ,
魂魄ハ永ク祖國ヲ護ルモノト信ズ」
と打電.
29日,部隊は,萬歳突撃を敢行.
米軍に,戦死550,戦傷2300の損害を与え,玉砕した.

なお,この時から,玉砕という言葉が使われるようになった.

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