ハワイ大海戰

北原白秋 作詞  海軍軍樂隊 作曲
唄 柴田睦陸,藤原亮子,大谷冽子



ハワイ大海戰



天に二つの 日は照らず
凌ぐは何ぞ 星條旗
大詔下る 時まさに
此の一戰と 衝き進む
疾風萬里 太平洋
目指すはハワイ 眞珠灣

たれか思はむ 曉の
夢驚かす 爆撃を
つんざく雲の 切れ間より
見よ轟々と 攻め襲ふ
必殺の雷 海の鷲
しんしん迫る 潛行艇

神か人かも 身を捨てて
千古に徹(とほ)る その命
何をか哭(な)かむ 盡(尽)忠の
ああ荒み魂(たま) 火の柱
地軸も裂けよ 艦(ふね)ともに
忽(たちま)ち砕く 敵主力

天も砕ける 轟爆音
今こそ知れや 米艦隊
正義の決意 已(すで)にして
凱歌は揚がる この八日
一望萬里 太平洋
吾(あ)れあり臨む 大東亞





 16年7月28日,日本は仏領印度支那に進駐した.
アジアの市場を独占しようとしていた米国は,これに強く反対し,日本に対しての経済封鎖を敢行.両国とも開戦を視野に入れての外交交渉による解決が図られたが,11月26日,米国側は最終案ハルノートを提出.支那占領地域及び印度支那からの撤退・滿洲國の不承認・日獨伊三國同盟の空文化を求めた.
 日本はこれを最後通告と判断し12月1日の御前会議で開戦を決定.
現地時間12月7日午前7時55分,第一波の攻撃が開始された.第二波攻撃終了の同9時45分までに,戦艦アリゾナ,オクラホマ,カリフォルニア,ウェストバージニアの4隻を轟撃沈,1隻を大破,3隻を中破させた.第二次攻撃は行われず徹底性には欠いたが,当初の進撃は容易になった.

 攻撃は,宣戦布告後の予定であったが,大使館員の怠慢により,宣戦布告が遅れ,謗りを受ける結果となった.

斯くして米国は錦の御旗を掲げ,日米は戦闘状態に入った.

 攻撃の一時間半前,5隻の特殊潜行艇が湾内への潜入を試みたが,迎撃され,乗員10人の内9人は戦死.1人が第1号捕虜となった.
事後海軍は戦死した9人を九軍神として発表した.

 山本五十六元帥はこのハワイ海戰(真珠湾攻撃)を和歌に詠んでいる.

戦果を祝して「淵田指揮官の活躍」
突撃の 電波は耳を 劈(つんざ)きぬ 三千浬外 ハワイの空ゆ

特殊潜行艇の功を讃えて
益荒男(ますらを)の ゆくとふ道を ゆききはめ わが若人ら つひにかへらず

 米国の某社が此を題材に映画を作りましたが,見た人の話によると,「日本はアメリカとの友好条約を結ぶような 顔をして真珠湾を攻撃する準備を進めていた」らしいですね.
確かに準備していたのは事実です.開戦も視野に入れて外交していましたし,攻撃部隊は御前会議が開かれる前に出発していました.(外交がうまくいけば引き返す予定だった.)
 しかしアメリカも準備をしていたのも事実です.
日本と開戦すれば,欧州に兵を派遣することが出来るようになる上に,世界恐慌によって急増していた失業者を,大幅に減らすことが出来るからです.アジアの市場を独占する上に於いても,日本は米国にとって邪魔でした.
米国が平和を願っていたなんてことは絶対にありません.

 何でもこの作品は「エンターテイメント」だそうです.
たとえ娯楽であったとしても,歴史を扱う以上,最低限の歴史考証ぐらいして欲しいものです.
御前会議が青空の下開かれたり,「尊皇」の旗が翻ったりしていたらおかしいのです.
見るときは内容を本気にせずに見ましょう.因みに自分は見ていません.機会があれば見ます.



なお,別詞があります.


ハワイ大海戰

北原白秋 作詞  海軍軍樂隊 作曲


天に二つの 日は照らず
凌ぐは何ぞ 星條旗
大詔下る 時まさに
此の一戰と 突き進む
廣袤(くわうばう)萬里 太平洋
目指すはハワイ 眞珠灣

たれか思はむ 曉の
夢驚かす 爆撃を
つんざく雲の 切れ目より
見よ轟々と 攻め襲ふ
必殺の鷲 魚雷陣
しんしん迫る 潛行艇

神か人かも 身を捨てて
ひとへに徹す その命
何をか哭かむ 盡忠の
ああ荒神 火の柱
撃ちてし止みぬ 敵主力
忽ち空し 米艦隊

天に逆らふ 理(ことはり)を
今こそ知れや 星條旗
千古に比なき 勝鬨を
聽け十二月 この八日
朝日はあがる 太平洋
我あり臨む 大東亞


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