北大營

川上清 作詞  陸軍戸山學校軍樂隊 作曲


北大營

晩秋 九月十八日(ひ)
柳條溝の 夜は更けて
あやめもわかぬ 眞の闇
時しも起こる 爆聲(声)は
滿鐵線(満鉄線)を うちこはし
我に仇なす 敵の兵

天も許さぬ 暴虐を
たれか 膺懲(ようちよう)せざるべき
忍びて茲(こゝ)に 幾年ぞ
時こそ來れと 全軍の
將士 怒髪天を衝き
大營(たいえい)指して 進軍す

敵は 一萬二千てふ
東北軍の 精鋭と
猛(たけ)きを誇る 王以哲
攻むるは 島本大隊の
將兵僅か 六百名
忠勇無比の 揃ひなり

腰を沒(没)する 水濠(みぞ)に墜ち
彈丸(たま)に斃(たふ)るゝ 戰友を
踏み越え進む つはものは
堅固を誇る 敵城の
二十重(はたへ)を圍(囲)む 鐵壁に
苦戰慘憺 修羅の極

敵の打ち出す 彈丸に
痛手負ふ者 續出(続出)す
各隊長は 高らかに
壁を乗り越え 突撃と
命令したる 一刹那
新國搦q(にひくにますこ) 堂と伏す

げに戰ひは たけなはに
前進前進 また前進
紅染むる 戰友も
我遲(遅)れじと 馳せ來る
勇猛果敢の 行動は
鬼神も 泣かむばかりなり

肉彈 相踵(あひつ)ぐ猛襲に
多勢を恃(たの)む 敵兵も
今は支へむ 術もなく
算を亂(乱)して 逃げ迷ふ
東雲(しのゝめ)白む 黎明に
わが手に歸(帰)せり 北大營(きたたいえい)

戰ひすんで 大空に
朝日は映ゆる 日の御旗
叫ぶ勝鬨 聲かぎり
すめらみかどの 稜威(みいつ)ぞと
征衣うるほす ますらをが
聲も高らに 泣き伏しぬ

音に名高き 北大營
双十節の 閲兵場
東北軍の 精鋭と
榮華誇りし 張學良
修羅の巷と 變(変)り果て
末路もいとど 哀れなり

見よや 正義の旗風は
邪悪の敵を 滅ぼして
世界有史に 類なき
勝ちををさめて 外國(とつくに)の
人も讚へし 守備隊の
譽は 永久(とは)に殘るらむ





世界恐慌によって,資本主義社会は大不況に見舞われた.
關東軍参謀石原莞爾らは計画を練り,
昭和6年9月18日,奉天北郊3マイルの,北大營の北側,
柳條湖の滿鐵線(南満洲鉄道線路)を爆破.
これを支那側の仕業とし,軍事行動を開始し,北大營を占領.
その後も關東軍は行動を続け,僅か4日の間に,南満州の主要都市を占領.
その後も,張學良軍を打ち破り進撃し,
翌年3月,清朝最後の皇帝,溥儀を戴き,滿洲國建国を宣言.
滿洲國は,その後20年間に,1000万以上人口が増え,貿易額は6倍に激増.
日本は,世界恐慌からいち早く抜け出したのであった.
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