田原坂
熊本県民謡
越すに越されぬ 田原坂(たばるざか) 右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱 馬上ゆたかな 美少年 山にしかばね 川に血流る 肥薩の天地 秋寂し 草をしとねに 夢やいづこ 明けのみ空に 日の御旗 西郷隆盛 話せる男 國の爲なら 死ねといふた 田原坂なら 昔が戀(恋)し 男同士の 夢の跡 春はさくらよ 秋なら紅葉 夢も田原の 草枕 泣いてくれるな 愛しの駒よ 今宵しのぶは 戀ぢやない 阿蘇の御神火 心に抱いて 九州男兒(児)の 血は熱い 退くに退かれぬ 田原の嶮は 男涙の 小夜嵐 |
明治6年.下野した西郷隆盛は,郷里鹿児島に帰り,私学校を開く. 明治9年,政府は秩禄処分を行い,士族への碌の支払いを打ち切った. 度重なる政策に不満を抱いた士族による反乱が続き, そして明治10年2月15日 鹿児島士族は,西郷を戴いて,1万3000の兵をもって北上を開始した. 22日,薩摩軍は熊本城攻撃を開始. しかし熊本城はおちない. 政府軍はその間に,九州に上陸.熊本に向かいつつあった. 薩摩軍は,攻城兵3000を残し,田原坂にて政府軍を迎え撃った 3月4日,戦闘が開始された. 長雨の中,激戦17昼夜. 屍は山を築き,血は流れて辺を染める. 後ろ盾がなく,糧秣弾薬の尽きた薩摩軍は崩壊. ここに西南戦争の大勢は決したのであった. この後,薩摩軍は敗走を続け,鹿児島の城山にて西郷隆盛は自決. 西南戦争は終わった. |