特攻隊節
作詞作曲者 不詳 |
昭和19年10月23日. フィリピン沖海戰,後にレイテ沖海戦と呼ばれる, 日本帝國海軍最後の決戦が幕をきった. 25日,初の神風(しんぷう)特攻隊, 楠家の家紋からとった「菊水隊」2機と, 「敷島の大和心を人とはば・・・」の歌からとった, 「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山櫻隊」が組織され, 米軍の艦船に組織的な体当たり攻撃を敢行した. 菊水隊は空母2隻を炎上させ, 敷島隊5機は空母3隻に突入. 内,護衛空母セント・ローを撃沈した. 20年4月1日. 沖縄に米軍が侵攻. 特攻作戦は続き, 海軍,2525名,陸軍,1387名が出撃していった. 20年8月15日, 沖縄特攻の指揮をした宇垣纏中將は, 「彗星」11機,22名の搭乗員と共に, 最後の特攻に出撃し散華. フィリピンで特攻作戦を採用した大西中將は, 終戦の翌日, 「特攻隊の英靈に曰す 善く戰ひたり深謝す」 で始まる遺書を残し,自決した. 「克く特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と世界人類の爲最善を盡くせよ」 辞世.之でよし 百萬年の仮寢かな |