海鷲だより

作詞作曲 不詳


あの隊長も あの友も
壯烈 空に散つたのに
不覺や俺は まだ生きのびて
椰子の葉蔭で 月に泣く
友よしのべよ この心

ガダル思へば 血の涙
レンネル思へば くやし泣き
明日は必ず ガダルへ飛んで
玉と砕けむ 心意氣
友よ見てくれ 體當(体当)たり

敵のグラマン 戰鬪機
高角砲も 雨あられ
命を的に 戰ふ吾(われ)は
大和魂 伊達ぢやない
愛機もろとも 體當たり

あの隊長も あの友も
レンネル島の 沖合で
壯烈無比の あの體當たり
君等が樹てた 勳功(いさをし)を
今ぞ吾等が 繼(継)いでゆく

愈々(いよいよ)これが 最期です
父さま母さま お元氣で
白木の箱が とゞいたならば
大した手柄ぢや ないけれど
泣かずに 譽めて下さいね





ミッドウェー海戦に敗れて後,海軍は,
ラバウルから南東に1000km.
ソロモン諸島の東端,ガダルカナル島(以下ガ島)に飛行場の建設を開始した.
17年8月5日,飛行場は完成したが,豪州との連絡路を断たれることを危惧した米軍は,
その2日後,海兵隊2万をもって同島を攻撃,守備隊は密林に逃れた.

陸軍は,21日,一木支隊1000をもって攻撃したが,失敗.
続いて9月12日に,川口支隊6000にて第二次攻撃も仕掛けるも,
同じく失敗に終わった.
10月24日にも第三次攻撃を行ったが,その間に増強していた米軍に敗北.
参加人員3万2000中,戦死5600,餓死1万5000.
撤退に成功したのは1万ほどであった.

また,それを支援するかたちで,海軍も幾度も放火を交えたが,
徹底的な打撃を与えることは出来ず,
(主な戦果としては,イ19潜水艦による,空母ワスプ撃沈,
南太平洋海戦における,空母ホーネットの撃破.
一方日本海軍は,戦艦・扶桑,山城,比叡,霧島,
空母・龍驤および多数の航空機,兵員をうしなった.)
12月31日,ガ島より撤退することが,御前会議にて正式に決定された.

なお,これは,戦略的転進と報道された.

いろいろと歌詞に異同があったり,ぬけていたりしますが,
無理矢理くっつけました.
ご了承ください.
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