2時間目
「日清戦争〜まだ沈まずや定遠は〜」
「気を取り直していきましょう」
「西南の役以後だったわね 日清戦争って題だけれど」
「はい 某自称日本人のせいで予定が大きく狂いました」
「うぅ……」
「で 次の先生は誰?」
「急かさないでください
では新しい先生をお呼びします」
「……」
「……」
「……」
「すみません 間違えました 顔がちょっと先生ぽかったので」
「誰 今の……」
「そのうちわかります」
「はあ……」
「では改めてお呼びします」
「……」
「……」
「……」
「帰ってくださって結構です」
「……」
「では3度目の正直です 先生どうぞ」
「……」
「……」
「……」
「あら どうしたのですか」
「……誰?」
「後番に出演されていたカブキマンさんです
お勤めが終了したのでお連れしました」
「私の名前はピーサードだが……」
「では授業よろしくお願いいたします」
「うむ 日清戦争だったな」
「(違うんだけど ま いっか)」
「(いいのか……)」
「よし でははじめるぞ」
「当時欧米列強はアジヤ支配権を拡大し ロシヤは不凍港を求めて南下しつつあった
『やらなきゃやられる』 日本にとって富国強兵は急務であったわけだ」
「亜細亜の前途」
酔狂学人・作詞 「愉快節」の譜
「メロディと詞があっていないような……」
「同じ節を何度も繰り返して歌うのだ であるから長さもばらばらだ」
「ふむ」
「特に一衣帯水にある朝鮮は 日本にとって生命線であった
自主独立した朝鮮とともに事に当たるのが最良であったのだが 当の朝鮮は未だ鎖国したままだった
明治8年(2535年) 江華島沖を測量していた軍艦雲揚号に対し朝鮮が攻撃を加えてきたため 勇躍挺身 直ちに反撃し江華島を占領した
こうして翌9年 日朝修好条規が締結され ついに朝鮮との国交が樹立されたのだ」
雲揚号
「日本に全く非がないような言い方……」
「朝鮮が手を出してこなければよかったのです」
「うーん……」
「ところで」
「ん 何だ」
「2535年って何のことだよ」
「神武天皇即位を紀元とする皇紀だが それが何か?」
「『それが何か』じゃないよ 西暦じゃないとわけわかんないって」
「わかるようになりなさい」
「そんな無茶苦茶な」
「私は別にどっちでも」
「また 明治8年にはロシヤとの間に千島樺太交換条約を締結 翌9年には小笠原諸島を領有し
12年には沖縄を併合して領土がほぼ確定した」
「蛍の光」
稲垣千穎・作詞 スコットランド民謡
「今現在 学校では平和な琉球王国を侵略したかのような教え方をしているが事実ではない」
「こんな話があるわ
明治34年8月に最後の琉球王尚泰が死亡 政府は喪に服するように指示したんだけれど」
「けれど?」
「ある村では今までの鬱憤晴らしに祭りを始めたそうよ」
「あらら」
「琉球王朝は支配下の民衆に対し過酷な徴収をしていたからな」
「ふむ……」
「さて 明治日本の大きな課題の1つが『不平等条約』の撤廃である
安政5年(2518年)の条約締結から明治44年(2571年)の完全撤廃まで実に53年の月日を要したわけだ
条約改正に関する演歌を2つ紹介しよう」
「改良節」
久田鬼石・作詞作曲
「条約改正」
久田鬼石・作詞 「愉快節」の譜
「因みに最後のほうに出てくる『御稜威(みいつ)』というのは天皇陛下の御威光のこと
これから何度も出てくるから覚えておいたほうがいいわ」
「領事裁判権の容認は様々な問題を引き起こした
特に有名なのがノルマントン号事件であろう」
ノルマントン号事件
「明治19年 英船ノルマントン号が紀伊沖で沈没 ドレーキ船長以下白人はみな脱出したが日本人は船に取り残され全員死亡
船長が客を見殺しにした件で罪に問われたが無罪となった事件だ
因みにこの絵はビゴーの筆によるものだが 客はみな船室に取り残されたのであって
海に投げ出されているのは脚色だ
「脚色だったの これ……」
「投げ出された様に描いた方が衝撃的で『許せねぇべさ』ということになるので都合がいいのです」
「むう」
「ノルマントン号事件は大事件であったため 当然というべきか事件に関する歌が作られた
以下のようなものだ」
「ノルマントン号沈没の歌」
作詞作曲者 未詳
「59って……」
「『汽笛一声新橋を♪』の鉄道唱歌は66番まであるし
ギリシャ国歌の原詞は158番まであるからまだ短いほうよ」
「比べる対象を間違ってない?」
「そうかしら」
「『条約改正』にある『軍艦千島号』というのは
明治25年 瀬戸内海で軍艦千島が英船と衝突して沈没した事件だが 詳細は省く
その後 陸奥宗光の尽力によって領事裁判権が撤廃されたが
日清戦争の始まる明治27年(2554年)までかかったのだ」
「おいらが生まれた頃だな」
「閑話休題 日本は朝鮮の独立を望んだわけであるが
開国したとはいえ 朝鮮は未だに清の属国だった
明治17年 朝鮮に於いて日本に習って近代化を進めんとして金玉均が甲申事変を起こしたが清の軍隊が出動し鎮圧された
この事変により悪化した日清関係を打開するため翌年に結ばれたのが天津条約だ
福沢諭吉は金玉均らを支援していたのだが これに失望して脱亜論を発表している」
「欣舞節」
若宮萬次郎・作詞作曲
「甲申事変の2年後の明治19年 清は長崎に北洋艦隊(北洋水師)を派遣して威圧を加えてきた
朝鮮の独立を阻害し 更には日本を脅かす清国への敵対心は次第に高揚し
開戦の5年前には既にこのような歌が作られるようになっていのだ
また 明治27年の3月には 先の甲申事変に失敗し日本に亡命してきていた金玉均が
上海の日本ホテルにおびき出され殺害され その死体が朝鮮に運ばれてさらされるという事件が起こった
この一件も 対清・対朝感情を悪化させた
因みに 彼の福沢諭吉は明治17年の時点で
『支那と戦いて勝たざれば 我日本は自今永く支那の凌辱を蒙るのみならず
世界各国のために軽侮せられ侵凌らせれ 到底国の独立を維持すること能わざるべく
これに勝てば我日本の国威忽ち東洋に靡くのみならず 遠く欧米列強の敬畏する所となり
治外法権の撤去は申す迄もなく 百事同等の文明富強国として 永く東方の盟主として仰がるるなるべし』
と発言している」
「ところで このぼろっちい艦は何?」
ぼろっちい艦
「ぼろっちいなんて言っては駄目 すごい艦なのよ」
「へぇ〜 どこがすごいの?」
「なんと! 鋼鉄の装甲が施されているの」
「普通だよ それ……」
「装甲軍艦はこの艦が日本初なのです
その名も『東艦』 この『欣舞節』にも歌われている」
東艦
「速力が8ノット(14.8km/h)だからといって馬鹿にしてはいけません
台湾征討や西南戦争でも使われている艦です
まあ 日清戦争の頃には既に除籍されていたけど」
「やっぱり」
「時代の流れよ
後世の艦と比べれば見劣りがするのは当然
因みに彼の有名な咸臨丸は6ノットでした」
「なぜそこで扶桑」
「あ 正解 よくわかったわね」
扶桑
「まあこれくらいなら……
そんなことより何故ここで扶桑が出てくるのよ」
「後世の艦の見本です」
「扶桑って微妙じゃない?
後世の艦なら大和とか……」
「帝国海軍といったらやっぱり長門でしょう」
「おい そこの約2名」
「何よ 扶桑くらいなら一目瞭……」
「そんなことどうでもいい
授業が進まないだろ」
「……」
「しまった 私としたことが……」
「最後に1つ質問」
「何?」
「何か『乗り出す』とか書いてあるけど」
「それはあれ…… 楽しい楽しい架空戦記」
「むう」
「では続けるぞ
日清戦争は古の元寇になぞらえられ 以下のような歌も歌われた」
「元寇」
永井建子・作詞作曲
「作者は永井建子 後で触れるので今回は省略する
また 以下のような歌も作られている」
「皇国の守(来たれや来たれ)」
外山正一・作詞 伊沢修二・作曲
「敵は幾万」
山田美妙斎・作詞 小山作之助・作曲
「明治27年 朝鮮で東学党の乱が起こった
朝鮮は清に対し鎮圧のための派遣を要請し 清は『属国保護』の為出兵する一方 日本に対し先の天津条約に基づき通知
日本としては朝鮮を清の属国と認める事などできるわけもなく 居留民保護の為朝鮮に出兵した
東学党は朝鮮政府の要求を受け入れ撤退したが 日本は根本的原因解決の為 清と共に朝鮮の内政改革をすることを提案した
しかし清はこれを拒否
そして日清両軍はついに激突する事となる 時に明治27年7月25日」
「豊島の戦」
小中村義象・作詞 納所弁次郎・作曲
豊島沖海戦
「我が海軍は7月25日の この豊島沖海戦に勝利
この時 浪速艦がイギリス商船高陞号を撃沈した事が問題となった
しかし高陞号は支那兵を満載しており 当の支那人が英人船長を拘束して降伏を拒否した為にやむなく撃沈したものであり
後に合法であると認められ 高く評価されるところとなった
因みにこの時の浪速艦艦長は後の連合艦隊司令長官 東郷平八郎大佐だ
また続く成歓(せいかん)の戦では3500の清兵を蹴散らした
この成歓・安城(あんじょう)の戦に於いて
1人の喇叭卒(ラッパそつ)が 被弾しながらも突撃喇叭を吹き鳴らし続けて我が軍を鼓舞し 喇叭を吹奏する姿勢のまま終に絶命した
この美談は多くの人に感動を呼び また軍歌となった その喇叭卒こそ……」
「知ってる 白神源次郎だな」
「いや 木口小平二等卒だが」
「あれ」
「まあ 最初はよくわかってなかったのよね」
「喇叭の響(安城の渡)」
加藤義清・作詞 萩野理喜治・作曲
「そして8月1日に宣戦の大詔が降った」
「清国に対する宣戦の詔勅」
天佑を保全し万世一系の皇祚を践める大日本帝国皇帝は 忠実勇武なる汝有衆に示す
朕茲に清国に対して戦を宣す
朕が百僚有司は 宜く朕が意を体し 陸上に海面に清国に対して交戦の事に従い 以って国家の目的を達するに努力すべし
苟も国際法に戻らざる限り 各々権能に応じて一切の手段を尽すに於て 必ず遺漏なからんことを期せよ
惟うに 朕が即位以来 茲に二十有余年 文明の化を平和の治に求め 事を外国に構うるの極めて不可なるを信じ
有司をして 常に友邦の誼を篤くするに努力せしめ 幸に列国の交際は年を逐うて親密を加う 何ぞ料らん
清国の朝鮮事件に於ける 我に対して著著鄰交に戻り信義を失するの挙に出でんとは
朝鮮は帝国が其の始 啓誘して列国の伍伴に就かしめたる独立の一国たり
而して清国は毎に自ら朝鮮を以って属邦と称し 陰に陽に其の内政に干渉し
其の内乱あるに於て 口を属邦の拯難に籍き 兵を朝鮮に出したり
朕は明治十五年の条約に依り 兵を出して変に備えしめ 更に朝鮮をして禍乱を永遠に免れ治安を将来に保たしめ
以って東洋全局の平和を維持せんと欲し 先ず清国に告ぐるに協同事に従わんことを以ってしたるに
清国は翻て種々の辞ネを設け 之を拒みたり
帝国は是に於いて朝鮮に勧むるに 其の秕政を釐革し内は治安の基を堅くし 外は独立国の権義を全くせんことを以ってしたるに
朝鮮は既に之を肯諾したるも 清国は終始 陰に居て百方其の目的を妨碍し
剰ヘ辞を左右に托し時機を緩にし 以って其の水陸の兵備を整え 一旦成るを告ぐるや直に其の力を以って其の欲望を達せんとし
更に大兵を韓土に派し我が艦を韓海に要撃し 殆ど亡状を極めたり
則ち清国の計図たる 明に朝鮮国治安の責をして帰する所あらざらしめ
帝国が率先して 之を諸独立国の列に伍せしめたる朝鮮の地位は 之を表示するの条約と共に之を蒙晦に付し
以って帝国の権利 利益を損傷し 以って東洋の平和をして 永く担保なからしむるに存するや疑うべからず
熟々 其の為す所に就て 深く其の謀計の存する所を揣るに 実に始めより平和を犠牲として
其の非望を遂げんとするものと謂わざるべからず
事既に茲に至る 朕 平和と相終始して 以って帝国の光栄を中外に宣揚するに専なりと雖 亦 公に戦を宣せざるを得ざるなり
汝有衆の忠実勇武に倚頼し 速に平和を永遠に克復し 以って帝国の光栄を全くせんことを期す
明治27年8月1日 御名御璽
「こうして日清戦争が始まったのだ」
「北京まで」
作詞作曲者不詳
支那も昔は聖賢の 教えありつる国なれど
世を変え年をふるままに 次第に開化の後ずさり
口には中華を誇れども 心の野蛮は反比例
彼の蒙昧を破らずば 我が東洋の世は明けじ
進めや進め いざ進め 豊栄(とよさか)のぼる日の旗は
北京の城に押し立てて 無明の闇を照らすべし
これぞ名に負う日の本の 皇御国(すめらみくに)のつとめなる
皇御戦(すめらみいくさ)競いつつ 進めや進め北京まで
「開戦の歌」
久田鬼石・作詞 「愉快節」の譜
「ではここらで一休みするか」
「え?はじまったばかりなのに」
「容量の都合だ」
「はあ」