2時間目
「日清戦争〜まだ沈まずや定遠は〜」



「気を取り直していきましょう」

「西南の役以後だったわね 日清戦争って題だけれど」

「はい 某自称日本人のせいで予定が大きく狂いました」

「うぅ……」

「で 次の先生は誰?」

「急かさないでください

では新しい先生をお呼びします」

 

 

 

「……」

「……」

「……」

「すみません 間違えました 顔がちょっと先生ぽかったので」

「誰 今の……」

「そのうちわかります」

「はあ……」

「では改めてお呼びします」

 

 

 

「……」

「……」

「……」

「帰ってくださって結構です」

「……」

「では3度目の正直です 先生どうぞ」

 

 

 

「……」

「……」

「……」

「あら どうしたのですか」

「……誰?」

「後番に出演されていたカブキマンさんです

お勤めが終了したのでお連れしました」

「私の名前はピーサードだが……」

「では授業よろしくお願いいたします」

「うむ 日清戦争だったな」

「(違うんだけど ま いっか)」

「(いいのか……)」

「よし でははじめるぞ」

 

 

 

「当時欧米列強はアジヤ支配権を拡大し ロシヤは不凍港を求めて南下しつつあった

『やらなきゃやられる』 日本にとって富国強兵は急務であったわけだ」


 

「亜細亜の前途」
酔狂学人・作詞  「愉快節」の譜



悲憤慷慨亜細亜の前途を観察すれば 文運日々に進み行き 武運盛んな日本も
治外法権撤去せず 税権回復まだならず 跋扈無礼(ばっこぶれい)の赤髯奴(せきぜんど)
一葦隔てし朝鮮は ちゃんちゃん坊主に膝を折り 鷲(わし)の威勢に恐怖して 日々に衰う国の状態(さま)
支那は眠れる象なれば 一朝眠り覚める日は あなどり難き敵なりと
碧眼人(あおいめだま)におだてられ 喜ぶ孔子の末孫も 総身に智恵が回りかね
内に戦乱絶え間なし アフガニスタンやビルジスタン 安南ビルマ印度国 其の他無数の小邦も 皆是れ仏英の植民地
詮じ来れば東洋は 泰西(たいせい)諸国の権勢に 蹂躙せられて対等の 地位を保てる国はなし 悲憤慷慨胸に満つ
(中略)
旭の輝く日章の 国旗をヒマラヤ山頭に 翻したら大愉快 愉快じゃ愉快じゃ


 

「メロディと詞があっていないような……」

「同じ節を何度も繰り返して歌うのだ であるから長さもばらばらだ」


「ふむ」

「特に一衣帯水にある朝鮮は 日本にとって生命線であった

自主独立した朝鮮とともに事に当たるのが最良であったのだが 当の朝鮮は未だ鎖国したままだった

明治8年(2535年) 江華島沖を測量していた軍艦雲揚号に対し朝鮮が攻撃を加えてきたため 勇躍挺身 直ちに反撃し江華島を占領した

こうして翌9年 日朝修好条規が締結され ついに朝鮮との国交が樹立されたのだ」

 


雲揚号

 

「日本に全く非がないような言い方……」

「朝鮮が手を出してこなければよかったのです」

「うーん……」

「ところで」

「ん 何だ」

「2535年って何のことだよ」

「神武天皇即位を紀元とする皇紀だが それが何か?」

「『それが何か』じゃないよ 西暦じゃないとわけわかんないって」

「わかるようになりなさい」

「そんな無茶苦茶な」

「私は別にどっちでも」


「また 明治8年にはロシヤとの間に千島樺太交換条約を締結 翌9年には小笠原諸島を領有し

12年には沖縄を併合して領土がほぼ確定した」


 

「蛍の光」
稲垣千穎・作詞 スコットランド民謡




千島のおくも 沖縄も
八洲(やしま)のうちの 守りなり
至らんくにに いさおしく
つとめよ わがせ つつがなく

(明治14年 11月)


 

「今現在 学校では平和な琉球王国を侵略したかのような教え方をしているが事実ではない」

「こんな話があるわ

明治34年8月に最後の琉球王尚泰が死亡 政府は喪に服するように指示したんだけれど」

「けれど?」

「ある村では今までの鬱憤晴らしに祭りを始めたそうよ」

「あらら」

「琉球王朝は支配下の民衆に対し過酷な徴収をしていたからな」

「ふむ……」

「さて 明治日本の大きな課題の1つが『不平等条約』の撤廃である

安政5年(2518年)の条約締結から明治44年(2571年)の完全撤廃まで実に53年の月日を要したわけだ

条約改正に関する演歌を2つ紹介しよう」


 

「改良節」
久田鬼石・作詞作曲



野蛮の眠りのさめない人は 自由のラッパで起したい
開化の朝日は輝くぞ さましておくれよ長の夢
ヤッテケモッテケ 改良せぇ 改良せぇ

思う一念岩をもとおす 軒のしずくを見やしゃんせ
国民一致の力なら 条約改正何のその
鷲でも獅子でも鯨でも 少しも恐るることはない
ヤッテケモッテケ 改良せぇ 改良せぇ

鳥も啼きます夜は明けました 起きて下んせ此方(こち)の人
追々世の中進歩して 君の為なり国の為
民の為とて評議する 商法や民法の御きそくも
世に出る期日は近づいた 条約改正もまのあたり
ぼんやりしていちゃいけないよ 日本に生れた人ならば
勇気を出さんせ起きなんせ 国の為なりおのが為
ヤッテケモッテケ 改良せぇ 改良せぇ

(以下略)

(明治30年)


 

「条約改正」
久田鬼石・作詞  「愉快節」の譜



徳川の幕政続きて三百余年 泰平無事に慣れしより 世は文弱に流れつつ 上下優柔不断にて 士気は全く衰頽(すいたい)し
(中略)
偸安姑息(とうあんこそく)を旨とする 幕吏が井蛙(せいあ)の管見に 米国領事ハルリスと 締結(とりむす)びたる条約は
国の大事を誤りつ 治外法権且は又 関税賦課の権利まで 奪い去られて今日に 患(うれ)いを残すぞ遺憾(うらみ)なれ
(中略)
などか猶予(ためら)う同胞よ 勇み進んでもろともに 対等条約断行し 赤鬢奴(あかびんやっこ)に泡吹かせ 多年の鬱憤晴らさんは
真に吾人の大急務 愉快じゃ愉快じゃ

条約の改正事業は最大急務 見るもそよだつ外交史 三十余年の其間 幾多の人が交送(いれかわ)り
改正数度手を出すも 空しく紛々擾々の 間(うち)に中止し挫折して 今に改正なし得ざる
(中略)
上下心を協(あわ)せつつ 正々堂々一歩だも 譲らず退かず飽迄も 皇国(みくに)の為に尽くすこそ
真に吾人の大急務 愉快じゃ愉快じゃ

躍起せよ国を愛する赤誠男児
(中略)
遠くは紀州大島に ノルマントンの沈没や 近くは軍艦千島号 恨みを呑んで逝きたりし 我同胞の妄執を
霽(は)らす術さえあらざるは 治外法権ゆえなりと 思えば無念や口惜しや
(中略)
日本刀の其下に 一刀両断決然と 現条約を廃棄なし 東洋独立神州の 御稜威(みいつ)を高く東天に 輝かすべき条約を
締結(むすぶ)は吾人の大急務 愉快じゃ愉快じゃ


 

「因みに最後のほうに出てくる『御稜威(みいつ)』というのは天皇陛下の御威光のこと

これから何度も出てくるから覚えておいたほうがいいわ」

「領事裁判権の容認は様々な問題を引き起こした

特に有名なのがノルマントン号事件であろう」

 


ノルマントン号事件

 

「明治19年 英船ノルマントン号が紀伊沖で沈没 ドレーキ船長以下白人はみな脱出したが日本人は船に取り残され全員死亡

船長が客を見殺しにした件で罪に問われたが無罪となった事件だ

因みにこの絵はビゴーの筆によるものだが 客はみな船室に取り残されたのであって

海に投げ出されているのは脚色

「脚色だったの これ……」

「投げ出された様に描いた方が衝撃的で『許せねぇべさ』ということになるので都合がいいのです」

「むう」

「ノルマントン号事件は大事件であったため 当然というべきか事件に関する歌が作られた

以下のようなものだ」


 

「ノルマントン号沈没の歌」
作詞作曲者 未詳




岸打つ波の音高く 夜半(よわ)の嵐に夢さめて 青海原を眺めつつ わが兄弟(はらから)は何処(いずく)ぞと


呼べと叫べど声はなく たずねさがせど影はなし うわさに聞けば過ぐる月 二十五人の兄弟は


旅路を急ぐ一筋に 外国船(とつくにぶね)とは知りつつも 航海術に名も高き イギリス船ときくからに


ついうかうかと乗せられて 浪路もとおき遠州の 七十五里もはや過ぎて 今は奇異なる熊野浦

(中略)

33
正は正なり非は非なり 国に東西有りとても 道理に二つあるべきか ノルマントンの船長の

34
その暴悪の振る舞いは 外国々(とつくにぐに)の人ですら その非をせめぬ者ぞなき 乗合多きその中に

35
白皙人種(はくせきじんしゅ)はみな生きて 黄色人種はみな溺(おぼ)る 原因あらば聞かまほし 彼も人なり我も人

36
同じ人とは生れながら 危難を好む人やある いのち惜しまぬ者やある イギリス国の法官よ

37
汝の国の奴隷鬼(ドレーキ)は 人を殺して身を逃る 義務を忘れて法犯す 凶悪無道の曲者(くせもの)ぞ

38
これぞ所謂(いわゆる)スローター などて刑罰加えざる などて刑罰加えざる 汝が国は兵強く

39
軍艦大砲ありとても わが国民は知識なく 国が実に弱くとも 鳥や豚ではあるべきか

(中略)

54
今にも談判(だんぱん)整わば 内地雑居となり来り 赤髪碧眼(せきはつへきがん)かず多く わが国内に乗り込みて

55
学問知識を競争し 工芸技術それぞれに 名誉の淵に乗り出し 勝負を競う事なれば

56
油断のならぬ今の時 ノルマントンの沈没の その惨状を知る者は 心根たしかに気をはりて

57
若(も)しも第二の奴隷鬼や なお恐ろしきファントムが 顕(あら)われいでたる事あらば 三千余万の同胞は

58
みな諸ともに一致して 力を限り情かぎり 縦横無尽に奮撃し それでも及ばぬその時は

59
生命財産なげうちて 国の権利を保護して 保たにゃならぬ国の名を 保たにゃならぬ国の名を

(明治20年)


 

「59って……」

「『汽笛一声新橋を♪』の鉄道唱歌は66番まであるし

ギリシャ国歌の原詞は158番まであるからまだ短いほうよ」

「比べる対象を間違ってない?」

「そうかしら」

「『条約改正』にある『軍艦千島号』というのは

明治25年 瀬戸内海で軍艦千島が英船と衝突して沈没した事件だが 詳細は省く

その後 陸奥宗光の尽力によって領事裁判権が撤廃されたが

日清戦争の始まる明治27年(2554年)までかかったのだ」

「おいらが生まれた頃だな」

「閑話休題 日本は朝鮮の独立を望んだわけであるが

開国したとはいえ 朝鮮は未だに清の属国だった

明治17年 朝鮮に於いて日本に習って近代化を進めんとして金玉均が甲申事変を起こしたが清の軍隊が出動し鎮圧された

この事変により悪化した日清関係を打開するため翌年に結ばれたのが天津条約

福沢諭吉は金玉均らを支援していたのだが これに失望して脱亜論を発表している」


 

「欣舞節」
若宮萬次郎・作詞作曲



日清談判 破裂して
品川乗り出す 東艦(あずまかん)
西郷死するも 彼がため
大久保殺すも 彼奴(きやつ)がため
遺恨重なるチャンチャン坊主

日本男児の 村田銃
剣のキッ先 味わえと
なんなく支那人 打ち倒し
万里の長城 乗っ取って
一里半行きゃ 北京城よ

欣舞(きんぶ)欣舞欣舞 愉快愉快

(明治22年)


 


 

「甲申事変の2年後の明治19年 清は長崎に北洋艦隊(北洋水師)を派遣して威圧を加えてきた

朝鮮の独立を阻害し 更には日本を脅かす清国への敵対心は次第に高揚し

開戦の5年前には既にこのような歌が作られるようになっていのだ

また 明治27年の3月には 先の甲申事変に失敗し日本に亡命してきていた金玉均が

上海の日本ホテルにおびき出され殺害され その死体が朝鮮に運ばれてさらされるという事件が起こった

この一件も 対清・対朝感情を悪化させた

因みに 彼の福沢諭吉は明治17年の時点で

『支那と戦いて勝たざれば 我日本は自今永く支那の凌辱を蒙るのみならず

世界各国のために軽侮せられ侵凌らせれ 到底国の独立を維持すること能わざるべく

これに勝てば我日本の国威忽ち東洋に靡くのみならず 遠く欧米列強の敬畏する所となり

治外法権の撤去は申す迄もなく 百事同等の文明富強国として 永く東方の盟主として仰がるるなるべし』

と発言している」

「ところで このぼろっちい艦は何?」

 


ぼろっちい艦

 

「ぼろっちいなんて言っては駄目 すごい艦なのよ」

「へぇ〜 どこがすごいの?」

「なんと! 鋼鉄の装甲が施されているの」

「普通だよ それ……」

「装甲軍艦はこの艦が日本初なのです

その名も『東艦』 この『欣舞節』にも歌われている」

 


東艦

 

速力が8ノット(14.8km/h)だからといって馬鹿にしてはいけません

台湾征討や西南戦争でも使われている艦です

まあ 日清戦争の頃には既に除籍されていたけど」

「やっぱり」

「時代の流れよ

後世の艦と比べれば見劣りがするのは当然

因みに彼の有名な咸臨丸は6ノットでした」

 

 

「なぜそこで扶桑」

「あ 正解 よくわかったわね」

 


扶桑

 

「まあこれくらいなら……

そんなことより何故ここで扶桑が出てくるのよ」

「後世の艦の見本です」

「扶桑って微妙じゃない?

後世の艦なら大和とか……」

「帝国海軍といったらやっぱり長門でしょう」

「おい そこの約2名」

「何よ 扶桑くらいなら一目瞭……」

「そんなことどうでもいい

授業が進まないだろ

「……」

「しまった 私としたことが……」

「最後に1つ質問」

「何?」

「何か『乗り出す』とか書いてあるけど」

「それはあれ…… 楽しい楽しい架空戦記」

「むう」

「では続けるぞ

日清戦争は古の元寇になぞらえられ 以下のような歌も歌われた」


 

「元寇」
永井建子・作詞作曲



四百余州を挙(こぞ)る 十万余騎の敵
国難ここに見る  弘安四年夏の頃
何ぞ恐れん我に 鎌倉男子あり
正義武断の名 一喝して世に示す

多々良浜辺(たたらはまべ)の蝦夷(えみし) そは何 蒙古勢
傲慢無礼者 共に天を戴かず
出でや進みて忠義に 鍛えし我が腕(かいな)
ここぞ国の為 日本刀を試し見ん

心筑紫の海に 波押し分けてゆく
益良猛夫(ますらたけを)の身 仇を討ち帰らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の
神ぞしろめす 大和魂(やまとだま)潔し

天は怒りて海は 逆巻く大波に
国に仇を為す 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人(みたり)
いつしか雲晴れて 玄界灘月清し

(明治25年4月)


 

「作者は永井建子 後で触れるので今回は省略する

また 以下のような歌も作られている」


 

「皇国の守(来たれや来たれ)」
外山正一・作詞 伊沢修二・作曲



来たれや来たれや いざ来たれ
皇国(みくに)をまもれや もろともに
寄せくる敵は多くとも 恐るるなかれ怖るるな
死すとも退く事なかれ 皇国のためなり君のため

勇めや勇めや みな勇め
剣も弾丸(たま)も なんのその
皇国を守る つわものの 身は鉄よりも なお堅し
死すとも退く事なかれ 皇国のためなり君のため

守れや守れや みな守れ
他国の奴隷と なることを
怖るるものは父母(ちちはは)の 墳墓の国をよく守れ
死すとも退く事なかれ 皇国のためなり君のため

進めや進めや みな進め
皇国の旗をば おし立てて
進めや進めや みな進め 先祖の国を守りつつ
死すとも退く事なかれ 皇国のためなり君のため

(明治21年5月)


 

「敵は幾万」
山田美妙斎・作詞  小山作之助・作曲



敵は幾万ありとても すべて烏合(うごう)の勢なるぞ
烏合の勢にあらずとも 味方に正しき道理あり
邪はそれ正に勝ち難く 直は曲にぞ勝栗の
堅き心の一徹は 石に矢の立つためしあり 石に立つ矢のためしあり
などて恐るる事やある などてたゆたう事やある

風に閃く連隊旗 しるしは昇る朝日子よ
旗は飛びくる弾丸に 破るるほどこそ誉れなれ
身は日の本のつわものよ 旗にな愧(は)じそ進めよや
斃(たお)るるまでも進めよや 裂かるるまでも進めよや 旗にな愧じそ恥じなせそ
などて恐るる事やある などてたゆたう事やある

敗れて逃ぐるは国の恥 進みて死ぬるは身の誉れ
瓦となりて残るより 玉となりつつ砕けよや
畳の上にて死ぬ事は 武士の為すべき道ならず
骸(むくろ)を馬蹄(ばてい)に 懸けられつ 身を野晒(のざらし)になしてこそ 世にもののふの義といわめ
などて恐るる事やある などてたゆたう事やある

(明治24年7月)


 

「明治27年 朝鮮で東学党の乱が起こった

朝鮮は清に対し鎮圧のための派遣を要請し 清は『属国保護』の為出兵する一方 日本に対し先の天津条約に基づき通知

日本としては朝鮮を清の属国と認める事などできるわけもなく 居留民保護の為朝鮮に出兵した

東学党は朝鮮政府の要求を受け入れ撤退したが 日本は根本的原因解決の為 清と共に朝鮮の内政改革をすることを提案した

しかし清はこれを拒否

そして日清両軍はついに激突する事となる 時に明治27年7月25日」


 

「豊島の戦」
小中村義象・作詞 納所弁次郎・作曲



鶏(とり)の林に風立ちて ゆききの雲の脚はやし
吉野 浪速(なにわ) 秋津島 探る牙山(がざん)の道すがら
七月二十有五日 あかつき深く たつ霧の
ほのかに見ゆる敵艦は 名に負う 斉遠(さいえん) 広乙号(こうおつごう)

彼より撃ちだす弾丸に 怒るは人と神のみか
波さえあらぶる豊島海(ほうとうかい) 我が軍いかでか躇(ためら)わん
互いにたたかう程もなく 逃ぐるやいずこ彼の二艦
おえどもおえども ちりぢりに 行方もしらずなりにけり

たちまち見ゆる二艘のふね 牙山さして いそぐなり
勝ちに乗りたる我がふねの 進みすすみてとりまけば
白旗たかく さし立てて ますこそ降れ操江号(そうこうごう)
撃ちだす我が砲(つつ) 一発に 高陞号(こうしゅうごう)は沈めたり

折りしも波風おさまりて 清き喇叭の声おこり
ひがしの空をあおぎつつ 世界を動かすかちどきは
天皇陛下万々歳 日本海軍万々歳
この勇ましき勝ちどきぞ 征清軍のはじめなる


 


豊島沖海戦

 

 

「我が海軍は7月25日の この豊島沖海戦に勝利

この時 浪速艦がイギリス商船高陞号を撃沈した事が問題となった

しかし高陞号は支那兵を満載しており 当の支那人が英人船長を拘束して降伏を拒否した為にやむなく撃沈したものであり

後に合法であると認められ 高く評価されるところとなった

因みにこの時の浪速艦艦長は後の連合艦隊司令長官 東郷平八郎大佐だ

また続く成歓(せいかん)の戦では3500の清兵を蹴散らした

この成歓・安城(あんじょう)の戦に於いて

1人の喇叭卒(ラッパそつ)が 被弾しながらも突撃喇叭を吹き鳴らし続けて我が軍を鼓舞し 喇叭を吹奏する姿勢のまま終に絶命した

この美談は多くの人に感動を呼び また軍歌となった その喇叭卒こそ……」

「知ってる 白神源次郎だな」

「いや 木口小平二等卒だが」

「あれ」

「まあ 最初はよくわかってなかったのよね」


 

「喇叭の響(安城の渡)」
加藤義清・作詞  萩野理喜治・作曲



渡るにやすき安城の 名は徒(いたずら)のものなるか
敵のうちだす弾丸に 波はいかりて水さわぎ

湧き立ちかえる くれないの 血汐のほかに みちもなく
先鋒たりし わが軍の 苦戦のほどぞ知られける

この時ひとりの喇叭手は とり佩(は)く太刀の 束の間も
進め進めと吹きしきる 進軍喇叭のすさまじさ

その音忽(たちまち)ち打ち絶えて 再びかすかに聞えたり
打ち絶えたりしは何故(なにゆえ)ぞ かすかに鳴りしは何故ぞ

打ち絶えたりしその時は 弾丸のんどを貫けり
かすかに鳴りし その時は 熱血気管にあふれたり

弾丸のんどを貫けど 熱血気管にあふるれど
喇叭はなたず握りつめ 左手(ゆんで)に杖つく村田銃

玉とその身はくだけても 霊魂天地をかけめぐり
なお敵軍をやぶるらん あな勇ましの喇叭手よ

雲山万里(うんざんばんり)かけへだつ 四千余万の同胞も
君が喇叭の響にぞ 進むは今と勇むなる

(明治27年)


 

「そして8月1日に宣戦の大詔が降った」


 

「清国に対する宣戦の詔勅」

 天佑を保全し万世一系の皇祚を践める大日本帝国皇帝は 忠実勇武なる汝有衆に示す
 朕茲に清国に対して戦を宣す
朕が百僚有司は 宜く朕が意を体し 陸上に海面に清国に対して交戦の事に従い 以って国家の目的を達するに努力すべし
苟も国際法に戻らざる限り 各々権能に応じて一切の手段を尽すに於て 必ず遺漏なからんことを期せよ
 惟うに 朕が即位以来 茲に二十有余年 文明の化を平和の治に求め 事を外国に構うるの極めて不可なるを信じ
有司をして 常に友邦の誼を篤くするに努力せしめ 幸に列国の交際は年を逐うて親密を加う 何ぞ料らん
清国の朝鮮事件に於ける 我に対して著著鄰交に戻り信義を失するの挙に出でんとは
 朝鮮は帝国が其の始 啓誘して列国の伍伴に就かしめたる独立の一国たり
 而して清国は毎に自ら朝鮮を以って属邦と称し 陰に陽に其の内政に干渉し
其の内乱あるに於て 口を属邦の拯難に籍き 兵を朝鮮に出したり
 朕は明治十五年の条約に依り 兵を出して変に備えしめ 更に朝鮮をして禍乱を永遠に免れ治安を将来に保たしめ
以って東洋全局の平和を維持せんと欲し 先ず清国に告ぐるに協同事に従わんことを以ってしたるに
清国は翻て種々の辞ネを設け 之を拒みたり
 帝国は是に於いて朝鮮に勧むるに 其の秕政を釐革し内は治安の基を堅くし 外は独立国の権義を全くせんことを以ってしたるに
朝鮮は既に之を肯諾したるも 清国は終始 陰に居て百方其の目的を妨碍し
剰ヘ辞を左右に托し時機を緩にし 以って其の水陸の兵備を整え 一旦成るを告ぐるや直に其の力を以って其の欲望を達せんとし
更に大兵を韓土に派し我が艦を韓海に要撃し 殆ど亡状を極めたり
 則ち清国の計図たる 明に朝鮮国治安の責をして帰する所あらざらしめ
帝国が率先して 之を諸独立国の列に伍せしめたる朝鮮の地位は 之を表示するの条約と共に之を蒙晦に付し
以って帝国の権利 利益を損傷し 以って東洋の平和をして 永く担保なからしむるに存するや疑うべからず
熟々 其の為す所に就て 深く其の謀計の存する所を揣るに 実に始めより平和を犠牲として
其の非望を遂げんとするものと謂わざるべからず
 事既に茲に至る 朕 平和と相終始して 以って帝国の光栄を中外に宣揚するに専なりと雖 亦 公に戦を宣せざるを得ざるなり
汝有衆の忠実勇武に倚頼し 速に平和を永遠に克復し 以って帝国の光栄を全くせんことを期す

明治27年8月1日 御名御璽


 

「こうして日清戦争が始まったのだ」


 

「北京まで」
作詞作曲者不詳

支那も昔は聖賢の 教えありつる国なれど
世を変え年をふるままに 次第に開化の後ずさり
口には中華を誇れども 心の野蛮は反比例
彼の蒙昧を破らずば 我が東洋の世は明けじ
進めや進め いざ進め 豊栄(とよさか)のぼる日の旗は
北京の城に押し立てて 無明の闇を照らすべし
これぞ名に負う日の本の 皇御国(すめらみくに)のつとめなる
皇御戦(すめらみいくさ)競いつつ 進めや進め北京まで


 

「開戦の歌」
久田鬼石・作詞  「愉快節」の譜



仁愛と義侠に富みたる我が帝国が 隣邦朝鮮みちびきつ 独立国の対面を 全うせしめて永遠に 東洋平和を維持せんと
尽すにかえて清国は 尊大不遜朝鮮を 属邦なりと言いふらし 陰に奸策行いて 隣交やぶる暴戻を 責めさせたもう宣戦を
大詔渙発ありしより 悲憤扼腕切歯して 無念を忍びし国民の 士気は振うてさながらに 疾風枯草を捲くごとく
明治甲午の廿七年 七月下旬の廿五日 帝国軍艦秋津洲(あきつしま) 浪速吉野の三艦と 仁川(じんせん)近くの豊島に
出会し清国艦隊が 竜車に向かう蟷螂(とうろう)の 斧ふり上げて敵対を 笑うて迎うる我艦が 霹靂一声轟然と
天地に震う砲撃に 一千有余の清兵を 載せし一艘打ち沈め 敵艦操江ひっとらえ 済遠広乙走らして 威名輝く大勝利
続いて牙山成歓の 要害守りて屯せる 数千の清兵踏み破り 微塵となせし戦捷の 誉れは宇内(うだい)に 輝かん
忠勇義烈武士(もののふ)は 益々励み戦いて 汝が跨(またが)る其の駒を 立てよ呉山の第一峰
汝が捧ぐる其の旗を 飜(かえ)せ北京の朝風に 皇国(みくに)の光りをあらわさん
時は今なり諸共に 奮い進みて尽すべし 愉快じゃ愉快じゃ


 

「ではここらで一休みするか」

「え?はじまったばかりなのに」

「容量の都合だ」

「はあ」

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