3時間目
「日露戦争〜此処は御国を何百里〜」



「なんか随分久しぶりな気がする」

「作者が6ヶ月間放置してたから」

「そんなに時間があったならとりあえずこのヘボアイコンを何とかしてほしいわね」

「変わってるわよ」

「わからん……」

「縦横の比率を変えただけだけどね」

            →  

「やると思えばどこまでやるさ それが男の魂じゃないか♪」

「まあ 作者の画力は中朝韓の民度並に低いですから」

「あ そうそう 『民度』って言葉は差別用語だから使っちゃ駄目なのよ 知ってた?」

「え?」

「ほら」

 

「伝える言葉」(平成16年9月14日付 朝日新聞)
大江健三郎

(略)
 石原都知事は、サッカー・アジア杯で重慶ほかの若い中国人たちが日本から行ったサポーターに示した振る舞いについて、
「まあ、民度が低いんだから、しようがないね」といいました。
民度という言葉は、民俗学者柳田国男が、その全著作に一度も使っていないことでもわかる、差別的な表現です。


 

「ほらね 差別用語だったのよ」

「……」

「因みにこう続くわ」

 

続いて都知事は、北京の政府は「いい意味の弾圧をしたらいいんだ」ともいいました。
現在の憲法がなかったなら、かれが言い続けている事は、戦争の挑発だとみなされるでしょう。


 

「……」

 

 四年後の北京オリンピックで、ともに国家主義に奮い立つ日中双方の青年たちが暴力的な衝突を起こせば、
それは私が生きている間に見る、もっとも恐ろしい紙面となるでしょう。
しかし、そこから確実に引き返しうる道は、日中双方で見えているのです。
首相が、靖国参拝を撤回することです。
(後略)


 

「あの いや その…… 御免 コメント不能

「しかし私思うのよ」

「ん」

「こんな電波を堂々と載せるのは 実は釣りなんじゃないかと

「そうであって欲しいけど 多分当人は大真面目だと思うわ」

「残念 期待したのに……」

「『自分には帰るべき朝鮮がない なぜなら日本人だから』とか言い出す人に普通を要求しては駄目

ノーベル賞は偉大なのよ」

「凡人には理解できない領域ね」

「兎に角 以降脈絡の無い電波と釣りは禁止の方向で」

「わかったわ」

「ではそろそろ本編にいきますか」

「時に」

「まだ何か?」

「何故に今になって再開?」

ネタトーナメントワンツー記念ということで」

「最ネタじゃなくて最萌 ……結果を見る限りは最ネタか 自分で言うのもなんだけど」

「何か来年からこの企画自体危うい気がするわね 自分で言うのもなんだけど」

「自分で言うのもなんだけど萌えじゃないし」

「実はこの作者も投票してたりするんだけどね 予選から

「をい」

「お祭りですから」

「むぅ」

「というわけで本編入ります」

「ネタが一部古いのはご愛嬌ということで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チャンチャン チャンチャカチャンチャン チャチャチャチャチャ〜ン♪」

「まぁ〜もるもせむるもく〜ろが〜ねのぉ〜 う〜かべるしいろぞたぁ〜のみなるぅ〜

う〜かべるそのしろひぃ〜のもとのぉ〜 みぃ〜くにのよぉ〜おもをまっもっるっべっしっ

まぁがねえのぉ〜そおのふうねぇ〜 ひぃのもぉ〜とぉ〜おにぃ〜

あぁだなぁ〜すぅ〜くぅ〜にをぉ〜 せえめぇ〜よぉ〜かしぃ〜♪」

「い〜わきのけむりはわあだつぅ〜みのぉ〜 たぁ〜つかとばあかりなぁびくなりぃ〜

たぁ〜まうつひびきはい〜かづちのぉ〜 こぉ〜えかとばぁ〜あかりどっよっむっなっりっ

ばぁんりいのぉ〜はとお〜を〜 のぉりこぉ〜え〜えてぇ〜

みぃくに〜のぉ〜ひぃ〜かりぃ〜 かあがぁ〜やぁ〜かせぇ〜♪」

「う〜みゆかぁ〜ばぁ〜 みぃ〜づぅ〜くぅ〜う〜かぁ〜ばぁ〜ねぇ〜

やぁ〜あまぁ〜あ〜ゆぅ〜ううかぁ〜ばぁ〜 くさむすかぁ〜ばねおおぎみのぉ〜

へぇ〜え〜にぃ〜いいこぉ〜そぉ〜 しぃ〜なあめぇ〜ええ

のぉ〜どにはぁ〜しいなぁ〜あじぃ〜♪」

「……」

「……」

「……」

「……」

「いきなりなんなのよ」

「いや 何か楽しそうだったから」

「そもそもどこで歌詞を覚えたのやら」

「みんな知ってるわよ」

「そんなわけないでしょ

軍艦マーチなんて 世間一般ではパチンコの曲というイメージしかないわよ」

「そんなことないわよ ほらっ眼を閉じればぁ

細戈千足の国の干城と名にし負う貔貅がぁ 怒濤狂瀾する大洋をぉ 檣頭に旭日旗を翩翻と掲げた赳々たる黒鉄の艨艟を駆ってぇ……」

「こりゃ重症ね」

「私は至って正常よ」

「っていうか読めねえ」

「そりゃ鮮……」

「……なんでもない」

「あらそう

まあ とてもオーストリア人とは思えないわね」

「音楽に国境はないのよ」

「ものによると思うけどね

まあ 戦後アメリカが『ピース』という題名で演奏していたらしいから あながち嘘とは言えないかもしれないけど」

「でしょ?」

「どこらへんが『ピース』なのかよくわからないけどな」

「『黒鉄の浮かべる城』が国を平和にするのですから『ピース』で問題ありません」

「そうそう」

「みんな笑顔で会えたら争いもきっと無くなる こんなにも楽しくなる 世界は広いけど1つね……」

「そんなわけないでしょ」

主人公が主題歌を否定するなよ

「……けっ」

「……この講座 性格趣味趣向変えすぎだろ」

「気のせいよ」

「あ そうそう 転校生がいるのよ」

「転校生って……」

「いやね

反戦主義者として 窓ガラス割りが趣味の少女Aを呼んだんだけど」

「それって私じゃない……」

「どこをどう間違ったのか 気付いたら大日本帝国海軍マンセーとか言い出したから

補充しないとバランスが取れなくなるのよ」

「たしかに問題だな」

「そうだな あまり偏りすぎるのはよろしくない」

「うぅ……」

「ではどうぞ」

 

 

 

 

 

「ちい〜っす」

「あら リタじゃない」

「いや ピ○チュウだろ」

「白鳥ユキナではないか?」

「違います 光彦君です」

「うぐぅ ボクそんな変な名前じゃないもん……」

「それは違うだろ」

「ってか誰?」

「ハナちゃん ハナちゃん」

「ハナちゃんハナちゃんか」

「違うよ ハナちゃん ハナちゃんだよ」

「あっているではないか」

「うぐぅ 違うもん」

「名前なんてどうでもいいです

みんなでこの子を 講義が終わるまでに立派な国粋主義者にしてあげなければなりません」

「目的変わってるし」

「ん〜 それっていいこと?」

「それはもちろんよ」

「うん ハナちゃん頑張る!」

「子供を洗脳しないの」

「洗脳じゃなくて教育よ」

「まあ だれだってそういうけどね」

「そんなことはさておき 今度は軍艦マーチじゃなく他の歌にしたほうがいいわよ

もっと万人受けのするような」

「考えとく」

「で 日露戦争だよな 今回は」

「はい

では授業をはじめましょう 引き続きカブキマンさんお願いします」

 

 

 

「さて 眠れる獅子と呼ばれていた清であったが 日清戦争に敗北した事により

眠れる獅子などではなく眠れる豚であったことを世界に知らしめてしまう」

「豚ですか」

「豚です」

「むう」

「『豚尾漢』にはじまり 『眠れる豚』となり 『のらくろ』でもやっぱり豚で

台湾に引っ越したら現地の人からは『犬去りて豚来る』

豚が大好きなんですね」

「別に好きで呼ばれている訳じゃないと思うわ」

「ま 伝統ってやつです」

伝統なら仕方ないな」

伝統は守らねばならんからな」

「嫌な伝統ね……」

「身から出たさびよ」

「むう」

「清が眠れる豚でしかなかったことが分かった列強諸国は動き出す

膠州湾はドイツへ 遼東半島はロシヤへ 広州湾はフランスへ 威海衛と九龍半島はイギリスへ と

清は領土を次々と奪われていったのだ

そんな中『扶清滅洋』を唱える拳匪――義和団――が山東省より興り 次第に活発化

清はこれを『義挙』であるとした

明治33年 義和団によって日本の書記官とドイツ公使が殺害されたことにより 列国公使館は防衛体制に入る

こうして6月21日 清は開戦を決定 列国対清・義和団の北清事変がはじまった

日露英米仏独墺伊による連合軍が結成され 8月14日には北京への入場を果たす

そして翌年の9月7日に講和が成立した」

「今回はあっさりしてるわね」

「まあ 中学レベルということだしこんなものだろう」

「日清戦争は細かかったけど」

「悩んだって無駄よ けせらせら♪」

「う〜……」

「因みに北京では 連合軍が突入するまで列国の者たちが孤立無援で防衛戦を展開していたのだが

特に日本の柴五郎中佐率いる義勇兵の奮戦は物凄く

マクドナルド英国公使は後に『北京篭城の功績の半ばはとくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである』と賛辞をおくっている

日本軍の軍紀は厳正で管区には多くの支那人が流入 北京の家々は白人兵の暴行を避ける為に日の丸を掲げたそうだ」

「ふむ」

「ところで この北清事変前夜 33年の6月1日にある事件が起こった」

「事件?」

『アムール河の流血(黒龍江の流血)』だ」


 

「アムール河の流血や」
一高寮歌 塩田環・作詞 栗林宇一・作曲



アムール河の流血や 凍りて恨み むすびけん
二十世紀の東洋は 怪雲空にはびこりつ

コサック兵の剣戟や 怒りて光ちらしけん
二十世紀の東洋は 荒波海に立ちさわぐ

満清すでに力竭(つ)き 末は魯縞(ろこう)も穿(うが)ち得で
仰ぐはひとり日東の 名もかんばしき秋津州(あきつしま)

桜の匂い衰えて 皮相(ひそう)の風の吹きすさび
清き流れをけがしつつ 沈滞ここに幾春秋

向が丘の健男児 虚声偽涙をよそにして
照る日の影を仰ぎつつ 自治寮たてて十一年

世紀新(あらた)に来れども 北京の空は山嵐
さらば兜の緒をしめて 自治の本領あらわさん

(明治34年2月)


 

「ロシヤが支那人5000人をアムール川で虐殺したのだ

非人道的であるとして反露感情は高揚した

因みに この歌は第一高等学校の寮歌であるが

このメロディーは『歩兵の本領』や『メーデー歌』など 多くの歌に転用されている」


 

「歩兵の本領」
加藤明勝・作詞 栗林宇一・作曲 「アムール河の流血や」の譜



万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く
大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵線の花と散れ

尺余の銃(つつ)は武器ならず 寸余の剣 何かせん
知らずやここに二千年 鍛えきたえし大和魂(やまとだま)

軍旗まもる武士(もののふ)は すべてその数二十万
八十余ヶ所にたむろして 武装は解かじ夢にだも

千里東西波越えて 我に仇なす国あらば
港を出でん輸送船 暫(しば)し守れや海の人

敵地に一歩我踏めば 軍の主兵はここにあり
最後の決は我が任務 騎兵砲兵共同せよ

アルプス山を踏破せし 歴史は古く雪白し
奉天戦の活動は 日本歩兵の粋と知れ

携帯口糧あるならば 遠く離れて三日四日
曠野千里(こうやせんり)にわたるとも 散兵戦に秩序あり

退く戦術われ知らず みよや歩兵の操典を
前進前進また前進 肉弾とどく所まで

わが一軍の勝敗は 突喊(とっかん)最後の数分時
歩兵の威力はここなるぞ 花散れ勇め時は今

歩兵の本領ここにあり ああ勇ましの我が兵科
会心(えしん)の友よ来たれいざ ともに励まんわが任務

(明治44年)


 

「この曲は ものによっては永井建子作曲となっているわ

両遺族が話し合いをした結果 JASRACの方には栗林宇一で登録されているけれど真相は不明」

「さて少し話を戻そう 日清戦争に勝利し賠償金と領土を獲得した日本であったが それを快く思わない国がいた

南下しつつあった陸軍大国ロシヤだ

講和の僅か6日後に ロシヤは『極東永久の平和に対し障害を与える』として

フランス・ドイツとともに遼東半島の返還を求めてきた

いわゆる三国干渉だな

当時の日本に露仏独を相手にする力など到底なく 要求をのまざるを得なかった

しかしその3年後の明治31年には ロシヤは 日本が血を流して勝ち取ったその遼東半島を租借してしまう」


 

「ロシャコイ節」
添田唖蝉坊・作詞 よさこい節変調



東洋平和に害ありなどと 無理な理屈をつけおった
ロシャコイ ロシャコイ

一天四海をわが物顔に 無礼きわまる青目玉
ロシャコイ ロシャコイ

今は堪忍袋の緒さえ 切れて鋭き日本刀
ロシャコイ ロシャコイ

日本男児が血潮を流せし 遼東半島今いかに
ロシャコイ ロシャコイ

なぜかお前は八方美人 わたしゃ一筋国のため
ロシャコイ ロシャコイ

花は今だよいざ諸共に 駒に鞍おけ日本武士
ロシャコイ ロシャコイ

黒鳩赤髯もうかなわぬと 白旗立てて青い顔
ロシャコイ ロシャコイ

(明治36年)


 

「添田唖蝉坊は明治36年に 子供が『ロチャコイロチャコイ(ロシヤ来い』といっているのを耳にしてこの歌を作詞

土佐のよさこい節の音調に結び付けて作ったという

古くは対馬侵略があり 近くは樺太(サガレン)の譲渡や三国干渉 そしてアムール河の流血

ロシヤへの敵対心は高まっていったのだ

日本は来るべき戦いに備えて軍備の増強を開始した

明治28年7月 山本権兵衛海軍少将が六六艦隊(戦艦6 装甲巡洋艦6)を基幹とする海軍拡張計画を立て

30年に戦艦『富士』『八島』 32年に戦艦『朝日』 33年に戦艦『敷島』 34年に戦艦『初瀬』 そして35年には戦艦『三笠』が竣工した」


 

「軍艦」
鳥山啓・作詞 瀬戸口藤吉・作曲



守るも攻むるも黒鉄(くろがね)の 浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべる其の城 日の本の 皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
真鉄(まがね)の其の艦 日の本に 仇なす国を攻めよかし

石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の 龍(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
弾丸(たま)撃つ響は雷(いかずち)の 声かとばかりどよむなり
万里の波濤を乗り越えて 皇国の光輝やかせ

(明治30年)

 

「敷島艦の歌」
阪正臣・作詞 瀬戸口藤吉・作曲



墜道(トンネル)つきて顕るる 横須賀港(みなと)の深みどり
潮(うしお)に浮ぶ城郭は 名も香(かん)ばしき敷島艦

大和の国の鎮めぞと 思えばそぞろ尊くて
広間の中に入りたてば ただ宮殿の心地せり

ああ羨(うらや)ましく斯(か)くばかり みごと堅固の鉄のふね
我が家となして大洋を 自在に旅するますらおよ

さは云うものの掻き暗き 雨の降る日は如何あらん
疾風吹き立ち波の山 天に蔓(はびこ)る夜は如何に

ふりさけ見れば山もなく 鳥も帆影も灘の上
糧(かて)尽き水も乏しくて 永くとわたる事あらん

かかる侘しき艦の内 憂い思わぬ乗組の
人の操(みさお)は鉄石か 人の力は錦繍(きんしゅう)か

まして戦争(たたかい)起りなば 勇気日頃に百倍し
放つや大砲速射砲 向う敵艦皆微塵(みじん)

修羅の巷(ちまた)の荒波を 僅かの間に占領し
凱歌(かちどき)揚る旗の影 名誉の光ぞ輝かん

嗚呼(ああ)美事なる甲鉄艦 ああ堅固なる敷島艦
見れば心も爽やかに 乗れば気分も引き立ちぬ

艦の堅固は乗組の 人の操と何(いず)れぞや
艦の美事は乗組の 人の心と何れぞや

艦の名に負う敷島の 倭心(やまとごころ)の大丈夫(ますらお)よ
君等に深く謝するなり 御国を守る其の勲

(明治35年)

 


敷島

 


「『敷島艦の歌』を作詞した阪正臣は 敷島艦を見学したときの感激をそのまま詞にしたという

また この2曲を作曲したのが瀬戸口藤吉

後に行進曲として編曲され それぞれ『軍艦行進曲(軍艦マーチ)』 『敷島艦行進曲』となった」


 

「軍艦行進曲」
瀬戸口藤吉・編曲


kebutaさんの「おやじの唄」より拝借

守るも攻むるも黒鉄(くろがね)の 浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべる其の城 日の本の 皇国(みくに)の四方(よも)を守るべし
真鉄(まがね)の其の艦 日の本に 仇なす国を攻めよかし

石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の 龍(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
弾丸(たま)撃つ響は雷(いかずち)の 声かとばかりどよむなり
万里の波濤を乗り越えて 皇国の光輝やかせ

海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草蒸す屍
大君の辺(へ)にこそ死なめ
のどには死なじ

 


三笠

 

 

「日本海軍」
大和田健樹・作詞 小山作之助・作曲



四面海もて囲まれし 我が「敷島」の「秋津洲(あきつしま)」
外(ほか)なる敵を防ぐには  陸に砲台 海に艦

屍を浪に沈めても 引かぬ忠義の丈夫(ますらお)が
守る心の甲鉄艦 いかでたやすく破られん

名は様々に分かれても 建つる勲は「富士」の嶺の
雪に輝く「朝日」かげ 「扶桑」の空を照らすなり

君の御稜威(みいつ)の「厳島」  「高千穂」「高雄」「高砂」と
仰ぐ心に比べては 「新高」山もなお低し

「大和」魂一筋に 国に心を「筑波」山
「千歳」に残す芳名は 「吉野」の花もよそならず

「千代田」の城の千代かけて 色も「常磐」の「松島」は
雪にも枯れぬ「橋立」の 松諸共に頼もしや

海国男児が「海門」を 守る心の「赤城」山
「天城」「葛城」「摩耶」「笠置」 浮かべて安し我が国は

「浪速」の海の芳(かんば)しく 「竜田」の紅葉美しく
なおも「和泉」の潔(いさぎよ)き 誉は「八島」の外までも

「朧」月夜は「春日」なる 「三笠」の山にさし出でて
「曙」降りし「春雨」の 霽(は)るる嬉しき朝心地

「朝霧」晴れて「朝潮」の 満ちくる「音羽」「須磨」「明石」
忘るなかるる風景も よそに優れし我が国を

事ある時は武士(もののふ)の 身も「不知火」の「筑紫」潟
尽せや共に「千早」ぶる 神の守りの我が国に

「吾妻」に広き「武蔵」野も 「宮古」となりて栄えゆく
我が「日進」の君が代は 「白雲」蹴立つる「天竜」か

大空高く舞い翔る 「隼」「小鷹」「速鳥」の
迅(はや)き羽風に掃われて 散る「薄雲」は跡もなし

鳴る「雷(いかずち)」も「電(いなずま)」も ひと「村雨」の間にて
「東雲(しののめ)」霽(は)るる「叢雲」に 交じる「浅間」の朝煙

今も「霞」の「八雲」たつ 「出雲」「八重山」「比叡」「愛宕」
「磐手(いわて)」「磐城(いわき)」「鳥海」山 それより堅き我が海軍

「対馬」「金剛」「宇治」「初瀬」 みなわが歴史のあるところ
「豊橋」かけて「大島」に 渡る利器こそこの船よ

敵艦近く現われば 「陽炎」よりも速やかに
水雷艇を突き入れて ただ「夕霧」と砕くべし

「暁」寒き山颪 「漣(さざなみ)」たてて「福竜」の
群る敵をしりぞけん 勲はすべて我にあり

護れや日本帝国を 万万歳の後までも
「鎮遠」「済遠」「平遠」艦 「鎮東」「鎮西」「鎮南」艦

輝く国旗さしたてて 海外万里の外までも
進めや「鎮北」「鎮中」艦 進めや「鎮辺」「操江」艦

(明治37年1月)


 

「『日本海軍』は当事在籍していた艦艇を無理矢理よみこんでいます

全部分かる方 おめでとうございます 世間一般では立派な軍オタ軍艦マニア認定です」

「これを作詞したのは大和田健樹 『鉄道唱歌』や『故郷の空』などの作詞も手がけている

また 後にこのメロディーを用い 以下のような『軍国童謡』も作られた」


 

「僕は軍人大好きよ」
水谷まさる・作詞 小山作之助・作曲 「日本海軍」の譜



僕は軍人 大好きよ
今に大きく なったなら
勲章付けて 剣下げて
お馬に乗って ハイドウドウ


 

「ロシヤは『永久に占領するつもりはない』と宣言しながら南下を続けた

このままでは朝鮮・対馬と南下してくるのは目に見えている

日本はロシヤと対決せざるを得なくなっていったのだ

伊藤博文はロシヤと協調を試みたが成果は芳しくなく 結局は小村寿太郎の対露路線で決定

35年には 長い間孤立政策を取っていた英国と日英同盟を結ぶ

ロシヤの南下は支那の利権を狙う英国にとってもよろしくなく また極東における英国の優位を保つことにもなる為 好都合だったわけだ

それを受けロシヤは満洲から撤兵すると宣言

しかし第一次撤兵のみで以後の撤兵はせず また 清に対し『撤兵の代償』として満洲における独占的権利を要求

兵力を増強し 36年5月には満洲と朝鮮の境 鴨緑江まで進出した

8月 日本は撤兵を求めたがロシヤはこれを拒否し満洲の占領を宣言

交渉はしたものの成果は出ず 翌年2月4日に国交が断絶され

我が軍は8日に仁川沖 9日には旅順のロシヤ艦隊を奇襲攻撃

そして10日に宣戦の大詔が降ったのだ」


 

「露国に対する宣戦の詔勅」

 天佑を保有し万世一系の皇祚を践める大日本帝国皇帝は 忠実勇武なる汝有衆に示す
 朕 茲に露国に対して戦を宣す
 朕が陸海軍は 宜く全力を極めて露国と交戦の事に従うべく 朕が百僚有司は宜く各々其の職務に率い
其の権能に応じて国家の目的を達するに努力すべし 凡そ国際条規の範囲に於て一切の手段を尽し遺算なからんことを期せよ
 惟うに文明を平和に求め 列国と友誼を篤くして以て東洋の治安を永遠に維持し 各国の権利利益を損傷せずして
永く帝国の安全を将来に保障すべき事態を確立するは 朕夙に以て国交の要義と為し 旦暮敢て違わざらんことを期す
朕が有司も 亦 能く朕が意を体して事に従い 列国との関係年を逐うて益々親厚に赴くを見る
 今 不幸にして露国と釁端を開くに至る 豈朕が志ならんや 帝国の重を韓国の保全に置くや一日の故に非ず
是れ両国累世の関係に因るのみならず 韓国の存亡は実に帝国安危の繋る所たればなり
 然るに露国は其の清国との明約及び列国に対する累次の宣言に拘わらず
依然満洲に占拠し益々其の地歩を鞏固にして 終に之を併呑せんとす
若し満洲にして露国の領有に帰せん乎 韓国の保全は支持するに由なく 極東の平和 亦素より望むべからず
 故に朕は此の機に際し 切に妥協に由て時局を解決し 以て平和を恒久に維持せんことを期し
有司をして露国に提議し 半歳の久しきに亙りて屡次折衝を重ねしめたるも
露国は一も交譲の精神を以て之を迎えず 曠日弥久徒に時局の解決を遷延せしめ
陽に平和を唱道し 陰に海陸の軍備を増大し 以て我を屈従せしめんとす
 凡そ露国が始より和を好愛するの誠意なるもの毫も認むるに由なし
露国は既に帝国の提議を容れず 韓国の安全は方に危急に瀕し 帝国の国利は将に侵迫せられんとす
事既に茲に至る 帝国が平和の交渉に依り求めんとしたる将来の保障は今日之を旗鼓の間に求むるの外なし
 朕は汝有衆の忠実勇武なるに倚頼し 速に平和を永遠に克復し 以て帝国の光栄を保全せんことを期す

明治37年2月10日 御名御璽


 

「こうして日露戦争が始まった」


「その奇襲攻撃の歌とかはないの?」

「知らん」

「っておい」

「大した戦果でも無いしな」

「というか」

「ん」

「日露戦争期には軍歌が粗製濫造されたのであまり残ってないのよ 」

「なんじゃそら……」

「仮に作られてたしても当時の資料を取り寄せないと載っていないわ」

「むう……」

「一応主軸は『日本のうた』だから歌われてないものは極力割愛する」

 

「血潮と交えし(討露の歌)」
東京高等商業学校(現・一橋大学) 菅礼之助・作詞 一橋会音楽部・作曲



血潮と交(か)えし遼東に さ迷う魂(たま)の叫び聞け
黄沙白草(こうしゃはくそう)風吹けば 夜は戦声(せんせい)のなからめや
義戦の跡も早やすでに 見よ韓山の空の色
日は長白に傾きて 李氏の社稷(しゃしょく)や今いかに

聞けコザックの矢叫びに 王道 将に絶えんとす
文字(もんじ)同じき経典の 教えは古し孔聖が
仁の名国と亡びなば 四億の民は復た生きじ
かの黎民(れいみん)を憐れまば 咄(とつ)人道の賊を斬れ

黒龍ひとたび血に染みて 五千の精霊 鬼なりき
虐殺未だ飽かざるに またキシネーフに塁死あり
ザーの戦と唱えてし スラブの兵は賊なりき
神人ともに憤(いきどお)る 史上の罪は消ゆべしや

万国平和を唱えてし 汝(なれ)が言葉いま何処(いずこ)
誓いを述べし口先に 満洲の粟(ぞく)あたえんや
ひがし扶桑に国をなす わが民族の発程は
露人を斬りて犠牲(いけにえ)に 平和の神を祀(まつ)るべし

平和の光り麗かに 影東海に輝けば
われら奮励努力して 万古不撓(ばんこふとう)の基(もと)おかん
鉄火はためく戦場に 護国の運命(さだめ)君に待つ
行け忠勇の我が友よ 行け君国の烈丈夫

(明治37年2月)

 

「ウラルの彼方(征露の歌)」
第一高等学校 青木得三・作詞 栗林宇一・作曲 「アムール河の流血や」の譜



ウラルの彼方風荒れて 東に翔ける鷲(わし)一羽
渺々(びょうびょう)遠きシベリヤも はや時の間に飛び過ぎて

明治三十七の歳 黒雲乱れ月暗き
鶏林の北 満洲に 声もの凄く叫ぶなり

ああ絶東の君子国 蒼浪ひたす一孤島
銀雪たかし芙蓉峰 紅英清し芳野山

これ時宗の生れし地 これ秀吉の生れし地
一千の児が父祖の国 光栄しるき日本国

荒鷲いまや南下しつ 八道の山あとに見て
大和島根を衝かんとす 金色(きんしょく)の民 鉾(ほこ)とれや

十年(ととせ)の昔 大丈夫(ますらお)が 血潮に染めし遼東の
山河あざむき奪いてし ああその怨み忘れんや

北州の北 熊吼(ほ)ゆる サガレンの島これ昔
わが神州の領なるぞ 奪いさりしもまた彼ぞ

西暦一千九百年 恨みは長きアムールや
魯人の暴に清の民 罪なく逝けり数五千

言うなかれ ただ清人と 金色の民 彼もまた
ああ怨みなり残虐の 蛮族いかで許すべき

玉なす御手(みて)に剣とり 華顔(かがん)潮に湿(うるお)して
高麗半島さだめにし 神功皇后 君見ずや

海を蔽いて寄せ来たる 敵艦四千 鎮西の
蒼海深く沈めたる 彼の時宗を 君見ずや

明朝鮮を伐ち取りて 鳳輦(ほうれん)遠くはるばると
唐の都に謀りたる 彼の秀吉を 君見ずや

時宗の裔(すえ)鉾とれや 秀吉の裔 太刀佩(は)けや
恨み尽きせぬ蛮族を 屠(ほふ)り尽くさんとき至る

貔貅(ひきゅう)忽(たちま)ち海を越え 旅順ダルニー蛮族の
血潮に洗い遼東の 山河再び手に収め

朝日敷島 艨艟(もうどう)の 精を尽くして浪を蹴り
ロシヤ艦隊葬りて 翠波(すいは)おさまる日本海

砲火に焼かん浦塩(ウラジオ)や 屍を積まんハルピン府
シベリヤ深く攻め入らば ロ人も遂になすなけん

かくて揚がらん我が国威 かくて晴れなん彼の恨み
金色の民 鉾取れや 大和民族 太刀佩けや

ああ絶東の君子国 富士の高嶺の白雪や
芳野の春の桜花 光り示さんときいたる

忍ぶに堪えぬ遼東や またサガレンやアムールや
ああ残虐の蛮族に 怨み返さんとき到る

金色の民 いざやいざ 大和民族 いざやいざ
戦わんかな時機到る 戦わんかな時機到る

(明治37年2月)


 

「これまた長いわね」

「昔の歌は長いの多いわよ

レコードに録音するわけでもないから」

「ふむ」

「レコード時代になると3分半くらいまでに収めないといけないから

4番とか5番で終わる曲が増えるけどね 前奏や間奏なんかもいるし」

「なるほど」

「『血潮と交えし』の3番にある『キシネーフに塁死あり』とは

ロシヤの民衆がキシネフのユダヤ人を殺害した事件のことだ」

「今でこそ ユダヤ人迫害はドイツの専売特許みたいなイメージがあるけどね」

「イメージね」

「その手の話題は危険なので触れません あしからず」

「何の事だ?」

「さあ」

「むう」

「この歌は開戦直後に作られたものだ

また以下のような軍歌も作られている」


 

「日露軍歌」
大和田健樹・作詞 田村虎蔵・作曲

露軍討つべし破るべし われら同胞四千万
ひとつ喉より発したる 声は天地に響きけり

わが忠勇の軍隊が 血を流したる遼東に
干渉したる三国の 首謀は彼ぞ露政府ぞ

忘れはすまじ記憶せん わが同胞の四千万
北清事変のあしたにも われに加えし亡状を

無礼に無礼加えたる 鷲(わし)は次第に羽(は)を伸(の)して
侵略はかる亜細亜(アジヤ)の地 討つべき時は今なるぞ

かれ満洲を居ながらに 奪(と)らんと巧む念ふかく
爪牙は早もあらわなり 討つべき時は今なるぞ

かれ朝鮮をおのが手に 入れんと望む慾ふかく
奸計かくるるところなし 討つべき時は今なるぞ

討てや破れや敵兵を 天地ひらけし始めより
かつて一度も外(と)つ国の 侮り受けぬ我が国ぞ

わが東洋を蹂躙し わが国権を軽蔑し
あくまで誇るロシヤ軍 平和の敵は彼なるぞ

(中略)

むらがり浮かぶ艦隊も 逆まく波の底ふかく
うち沈めたる心地よさ はや海権は我がものぞ

陸には満洲旅順口 跋扈したりし敵兵を
微塵に破り退けて 次第に進む日章旗

その旗風の吹きわたる ところになびかぬ草木なく
見よやウラジオストックの 港乗っ取る日本軍

隊伍正しく威儀たけく 向う矢先に敵ほろび
シベリヤ鉄道占領し 今は乗り込む露都の街

セントピートルスボルグの 街に露兵のかげ絶えて
響くは日本軍歌の譜 天皇陛下万々歳

壮快壮快大壮快 のぼる朝日ともろともに
地球の上に照りわたる 国の威光はこのときぞ

こだまに返す勝ちどきの 声は四海にみちみちて
ウラルの山の峰までも 北氷洋の底までも

(明治37年2月)


 

「この『日露軍歌』の後半はいつもの楽しい架空戦記です」

「しかしどれも似たような詞ね」

「まあ ロシヤへの恨み辛みを並べ立てて 進攻していく内容を書くから当然といえば当然」

「それもそうか」

「さて 開戦はしたわけだが 我が海軍は港内に潜むロシヤ旅順艦隊を攻めあぐねていた

そこで計画したのが旅順港閉塞作戦

狭い旅順港口に老朽船を沈めて港外に出られぬようにしようとしたのだ

生還が期しがたい作戦であったため志願兵を募ったところ 2000名が名乗りを上げた

総ての乗組員が志願した艦もあり 血書による嘆願書を出したものもあったという」

「艦の乗組員全員って それって自由意志……?」

「そういうことになっている

今となってはよくわからないしな」

「そんなことを一々あげつらって閉塞隊員の功績にけちつけるのはいかがなものか」

「う〜ん……」

「兎も角 2000もの志願兵があり この中から77名が選ばれ 2月24日作戦が決行されたが失敗に終わった

この時の事を歌った軍歌が『決死隊』

その後も旅順艦隊に効果的損害を与える事が出来ず 3月27日 第二回旅順口閉塞作戦が決行された

しかしこれもまた失敗に終わる

この時福井丸の指揮していた広瀬武夫少佐は 福井丸が沈み始めた為ボートに乗り移ったが

杉野孫七上等兵曹の姿がない事に気付くと 再び沈みゆく船に戻り

『杉野は何処だ! 杉野はいないか!』

と三度にわたって船内を隈なく探したが 結局見つける事は出来なかった

中佐は部下に促されてやむなく再びボートに移り その場から脱しようとしたその刹那

敵弾が飛来し 少佐は一片の肉塊を残して姿を消してしまった

後 杉野上等兵曹は特進して曹長に

少佐もまた 一階級特進して功三級に叙せられ 初の軍神となった

出撃の前に家族に当てた手紙には こう書かれていたという

七生報国 一死必堅 再期成功 含笑上船


 

「広瀬中佐」
文部省唱歌



轟く砲音 飛来る弾丸
荒波洗(あろ)う デッキの上に
闇を貫く 中佐の叫び
「杉野は何処(いずこ) 杉野は居ずや」

船内隈なく 尋ぬる三度
呼べど答えず さがせど見えず
船は次第に 波間に沈み
敵弾いよいよ あたりに繁し

今はとボートに 移れる中佐
飛来る弾丸(たま)に 忽(たちまち)ち失(う)せて
旅順港外 恨みぞ深き
軍神広瀬と その名残れど

(大正元年12月)

 

「広瀬中佐」
大和田健樹・作詞 納所弁次郎・作曲



一言一行(いちげんいっこう)いさぎよく 日本帝国軍人の
鑑(かがみ)を人に示したる 広瀬中佐は死したるか

死すとも死せぬ魂は 七たびこの世に生れ来て
国のめぐみに報いんと 歌いし中佐は死したるか

われは神州男子なり けがれし露兵の弾丸に
あたるものかと壮語せし ますら武夫は死したるか

国家(くに)に捧げし丈夫の身 一死は期したる事なれど
旅順陥落 見も果てぬ うらみは深し海よりも

敵弾つぶてと飛び来る 報国丸の船橋に
わすれし剣を取りに行く その沈勇は神なるか

閉塞任務 事おわり ひらりと飛乗るボートにて
竿先白くひらめかす ハンカチーフに風高し

逆まく波と弾丸の 間に身をばおきながら
神色自若かえり来し 中佐の体はみな肝か

再度の成功 期せんとて 時は弥生の末っ方
中佐は部下と もろ共に 勇みて乗り込む福井丸

天晴(あっぱ)れ敵の面前に 日本男子の名乗して
卑怯の肝をひしがんと 誓いし事の雄々しさよ

かくて沈没 功なりて 収容せられし船の内
杉野曹長見えざれば 中佐の憂慮ただならず

又立ちかえり三度まで 見めぐる船中影もなく
答うるものは甲板の 上までひたす波の声

せんかたなくて乗り移る ボートの上に飛びくるは
敵のうち出す一巨弾 あなや中佐はうたれたり

古今無双の勇将を 世に失いしは惜しけれど
死して無数の国民を 起たせし功(いさお)は幾ばくぞ

屍は海に沈めても 赤心とどめて千歳に
軍(いくさ)の神と仰がるる 広瀬中佐はなお死せず

(明治37年5月)


 

第一回閉塞作戦時の報国丸乗組員
下段の右から三人目が中佐
福井丸乗組員
向かって左側が中佐の肉片が収められた小箱

 

杉野曹長 遺詠

国のためとゝせのむかし死する身の 今日ありしとは思はざりけり
身はうせて海のもくずと化するとも たましいのこすとつ国の浦
死ねば今 地獄の門の出来ぬ間に

 


「同じくこの形式を模したコンテンツで

『轟く砲音』を大和田健樹作詞と紹介しておられるサイトがありますが

これ 作詞者不詳です 文部省唱歌の多くが公開されていないから」

「一説によると巌谷小波らしい」

「そんなこと気にするのこの作者ぐらいだと思うわ」

「まあ 日本のうた講座ですから」

「世間一般の日本のうたとは大分違うけどね」

「広瀬中佐を称えた歌は 私が把握しているだけでもこのほかに

『日本海軍』の譜で歌うものと唱歌 そして添田唖蝉坊の演歌の3曲がある

ここからも軍神広瀬中佐の存在の大きさが窺われる」

「杉野曹長は実は救助されて生きていたとかいう話もあるわ」

岸壁の母の息子さんも生きていたらしいわね そういえば」

「あれは本当の話だけど こっちは真相不明よ」

「ふむ」

「どこで知ったんだそんな事……」

「それはもちろんワイドショーで」

「時代設定がさっぱり分からん……」

「ではここらで一休みするか」

「容量ね」

「うむ」

 

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