3時間目
「日露戦争〜此処は御国を何百里〜」
「なんか随分久しぶりな気がする」
「作者が6ヶ月間放置してたから」
「そんなに時間があったならとりあえずこのヘボアイコンを何とかしてほしいわね」
「変わってるわよ」
「わからん……」
「縦横の比率を変えただけだけどね」
→
「やると思えばどこまでやるさ それが男の魂じゃないか♪」
「まあ 作者の画力は中朝韓の民度並に低いですから」
「あ そうそう 『民度』って言葉は差別用語だから使っちゃ駄目なのよ 知ってた?」
「え?」
「ほら」
「伝える言葉」(平成16年9月14日付 朝日新聞)
「ほらね 差別用語だったのよ」
「……」
「因みにこう続くわ」
続いて都知事は、北京の政府は「いい意味の弾圧をしたらいいんだ」ともいいました。
「……」
四年後の北京オリンピックで、ともに国家主義に奮い立つ日中双方の青年たちが暴力的な衝突を起こせば、
「あの いや その…… 御免 コメント不能」
「しかし私思うのよ」
「ん」
「こんな電波を堂々と載せるのは 実は釣りなんじゃないかと」
「そうであって欲しいけど 多分当人は大真面目だと思うわ」
「残念 期待したのに……」
「『自分には帰るべき朝鮮がない なぜなら日本人だから』とか言い出す人に普通を要求しては駄目
ノーベル賞は偉大なのよ」
「凡人には理解できない領域ね」
「兎に角 以降脈絡の無い電波と釣りは禁止の方向で」
「わかったわ」
「ではそろそろ本編にいきますか」
「時に」
「まだ何か?」
「何故に今になって再開?」
「最ネタトーナメントワンツー記念ということで」
「最ネタじゃなくて最萌 ……結果を見る限りは最ネタか 自分で言うのもなんだけど」
「何か来年からこの企画自体危うい気がするわね 自分で言うのもなんだけど」
「自分で言うのもなんだけど萌えじゃないし」
「実はこの作者も投票してたりするんだけどね 予選から」
「をい」
「お祭りですから」
「むぅ」
「というわけで本編入ります」
「ネタが一部古いのはご愛嬌ということで」
「チャンチャン チャンチャカチャンチャン チャチャチャチャチャ〜ン♪」
「まぁ〜もるもせむるもく〜ろが〜ねのぉ〜 う〜かべるしいろぞたぁ〜のみなるぅ〜
う〜かべるそのしろひぃ〜のもとのぉ〜 みぃ〜くにのよぉ〜おもをまっもっるっべっしっ
まぁがねえのぉ〜そおのふうねぇ〜 ひぃのもぉ〜とぉ〜おにぃ〜
あぁだなぁ〜すぅ〜くぅ〜にをぉ〜 せえめぇ〜よぉ〜かしぃ〜♪」
「い〜わきのけむりはわあだつぅ〜みのぉ〜 たぁ〜つかとばあかりなぁびくなりぃ〜
たぁ〜まうつひびきはい〜かづちのぉ〜 こぉ〜えかとばぁ〜あかりどっよっむっなっりっ
ばぁんりいのぉ〜はとお〜を〜 のぉりこぉ〜え〜えてぇ〜
みぃくに〜のぉ〜ひぃ〜かりぃ〜 かあがぁ〜やぁ〜かせぇ〜♪」
「う〜みゆかぁ〜ばぁ〜 みぃ〜づぅ〜くぅ〜う〜かぁ〜ばぁ〜ねぇ〜
やぁ〜あまぁ〜あ〜ゆぅ〜ううかぁ〜ばぁ〜 くさむすかぁ〜ばねおおぎみのぉ〜
へぇ〜え〜にぃ〜いいこぉ〜そぉ〜 しぃ〜なあめぇ〜ええ
のぉ〜どにはぁ〜しいなぁ〜あじぃ〜♪」
「……」
「……」
「……」
「……」
「いきなりなんなのよ」
「いや 何か楽しそうだったから」
「そもそもどこで歌詞を覚えたのやら」
「みんな知ってるわよ」
「そんなわけないでしょ
軍艦マーチなんて 世間一般ではパチンコの曲というイメージしかないわよ」
「そんなことないわよ ほらっ眼を閉じればぁ
細戈千足の国の干城と名にし負う貔貅がぁ 怒濤狂瀾する大洋をぉ 檣頭に旭日旗を翩翻と掲げた赳々たる黒鉄の艨艟を駆ってぇ……」「こりゃ重症ね」
「私は至って正常よ」
「っていうか読めねえ」
「そりゃ鮮……」
「……なんでもない」
「あらそう
まあ とてもオーストリア人とは思えないわね」「音楽に国境はないのよ」
「ものによると思うけどね
まあ 戦後アメリカが『ピース』という題名で演奏していたらしいから あながち嘘とは言えないかもしれないけど」
「でしょ?」
「どこらへんが『ピース』なのかよくわからないけどな」
「『黒鉄の浮かべる城』が国を平和にするのですから『ピース』で問題ありません」
「そうそう」
「みんな笑顔で会えたら争いもきっと無くなる こんなにも楽しくなる 世界は広いけど1つね……」
「そんなわけないでしょ」
「主人公が主題歌を否定するなよ」
「……けっ」
「……この講座 性格趣味趣向変えすぎだろ」
「気のせいよ」
「あ そうそう 転校生がいるのよ」
「転校生って……」
「いやね
反戦主義者として 窓ガラス割りが趣味の少女Aを呼んだんだけど」
「それって私じゃない……」
「どこをどう間違ったのか 気付いたら大日本帝国海軍マンセーとか言い出したから
補充しないとバランスが取れなくなるのよ」
「たしかに問題だな」
「そうだな あまり偏りすぎるのはよろしくない」
「うぅ……」
「ではどうぞ」
「ちい〜っす」
「あら リタじゃない」
「いや ピ○チュウだろ」
「白鳥ユキナではないか?」
「違います 光彦君です」
「うぐぅ ボクそんな変な名前じゃないもん……」
「それは違うだろ」
「ってか誰?」
「ハナちゃん ハナちゃん」
「ハナちゃんハナちゃんか」
「違うよ ハナちゃん ハナちゃんだよ」
「あっているではないか」
「うぐぅ 違うもん」
「名前なんてどうでもいいです
みんなでこの子を 講義が終わるまでに立派な国粋主義者にしてあげなければなりません」「目的変わってるし」
「ん〜 それっていいこと?」
「それはもちろんよ」
「うん ハナちゃん頑張る!」
「子供を洗脳しないの」
「洗脳じゃなくて教育よ」
「まあ だれだってそういうけどね」
「そんなことはさておき 今度は軍艦マーチじゃなく他の歌にしたほうがいいわよ
もっと万人受けのするような」
「考えとく」
「で 日露戦争だよな 今回は」
「はい
では授業をはじめましょう 引き続きカブキマンさんお願いします」
「さて 眠れる獅子と呼ばれていた清であったが 日清戦争に敗北した事により
眠れる獅子などではなく眠れる豚であったことを世界に知らしめてしまう」「豚ですか」
「豚です」
「むう」
「『豚尾漢』にはじまり 『眠れる豚』となり 『のらくろ』でもやっぱり豚で
台湾に引っ越したら現地の人からは『犬去りて豚来る』
豚が大好きなんですね」
「別に好きで呼ばれている訳じゃないと思うわ」
「ま 伝統ってやつです」
「伝統なら仕方ないな」
「伝統は守らねばならんからな」
「嫌な伝統ね……」
「身から出たさびよ」
「むう」
「清が眠れる豚でしかなかったことが分かった列強諸国は動き出す
膠州湾はドイツへ 遼東半島はロシヤへ 広州湾はフランスへ 威海衛と九龍半島はイギリスへ と
清は領土を次々と奪われていったのだ
そんな中『扶清滅洋』を唱える拳匪――義和団――が山東省より興り 次第に活発化
清はこれを『義挙』であるとした
明治33年 義和団によって日本の書記官とドイツ公使が殺害されたことにより 列国公使館は防衛体制に入る
こうして6月21日 清は開戦を決定 列国対清・義和団の北清事変がはじまった
日露英米仏独墺伊による連合軍が結成され 8月14日には北京への入場を果たす
そして翌年の9月7日に講和が成立した」
「今回はあっさりしてるわね」
「まあ 中学レベルということだしこんなものだろう」
「日清戦争は細かかったけど」
「悩んだって無駄よ けせらせら♪」
「う〜……」
「因みに北京では 連合軍が突入するまで列国の者たちが孤立無援で防衛戦を展開していたのだが
特に日本の柴五郎中佐率いる義勇兵の奮戦は物凄く
マクドナルド英国公使は後に『北京篭城の功績の半ばはとくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである』と賛辞をおくっている
日本軍の軍紀は厳正で管区には多くの支那人が流入 北京の家々は白人兵の暴行を避ける為に日の丸を掲げたそうだ」
「ふむ」
「ところで この北清事変前夜 33年の6月1日にある事件が起こった」
「事件?」
「『アムール河の流血(黒龍江の流血)』だ」
「アムール河の流血や」
一高寮歌 塩田環・作詞 栗林宇一・作曲
「ロシヤが支那人5000人をアムール川で虐殺したのだ
非人道的であるとして反露感情は高揚した
因みに この歌は第一高等学校の寮歌であるが
このメロディーは『歩兵の本領』や『メーデー歌』など 多くの歌に転用されている」
「歩兵の本領」
加藤明勝・作詞 栗林宇一・作曲 「アムール河の流血や」の譜
「この曲は ものによっては永井建子作曲となっているわ
両遺族が話し合いをした結果 JASRACの方には栗林宇一で登録されているけれど真相は不明」
「さて少し話を戻そう 日清戦争に勝利し賠償金と領土を獲得した日本であったが それを快く思わない国がいた
南下しつつあった陸軍大国ロシヤだ
講和の僅か6日後に ロシヤは『極東永久の平和に対し障害を与える』として
フランス・ドイツとともに遼東半島の返還を求めてきたいわゆる三国干渉だな
当時の日本に露仏独を相手にする力など到底なく 要求をのまざるを得なかった
しかしその3年後の明治31年には ロシヤは 日本が血を流して勝ち取ったその遼東半島を租借してしまう」
「ロシャコイ節」
添田唖蝉坊・作詞 よさこい節変調
「添田唖蝉坊は明治36年に 子供が『ロチャコイロチャコイ(ロシヤ来い』といっているのを耳にしてこの歌を作詞
土佐のよさこい節の音調に結び付けて作ったという
古くは対馬侵略があり 近くは樺太(サガレン)の譲渡や三国干渉 そしてアムール河の流血
ロシヤへの敵対心は高まっていったのだ
日本は来るべき戦いに備えて軍備の増強を開始した明治28年7月 山本権兵衛海軍少将が六六艦隊(戦艦6 装甲巡洋艦6)を基幹とする海軍拡張計画を立て
30年に戦艦『富士』『八島』 32年に戦艦『朝日』 33年に戦艦『敷島』 34年に戦艦『初瀬』 そして35年には戦艦『三笠』が竣工した」
「軍艦」
鳥山啓・作詞 瀬戸口藤吉・作曲
「敷島艦の歌」
阪正臣・作詞 瀬戸口藤吉・作曲
敷島
「『敷島艦の歌』を作詞した阪正臣は 敷島艦を見学したときの感激をそのまま詞にしたという
また この2曲を作曲したのが瀬戸口藤吉だ後に行進曲として編曲され それぞれ『軍艦行進曲(軍艦マーチ)』 『敷島艦行進曲』となった」
「軍艦行進曲」
瀬戸口藤吉・編曲
三笠
「日本海軍」
大和田健樹・作詞 小山作之助・作曲
「『日本海軍』は当事在籍していた艦艇を無理矢理よみこんでいます
全部分かる方 おめでとうございます 世間一般では立派な軍オタ軍艦マニア認定です」
「これを作詞したのは大和田健樹 『鉄道唱歌』や『故郷の空』などの作詞も手がけている
また 後にこのメロディーを用い 以下のような『軍国童謡』も作られた」
「僕は軍人大好きよ」
水谷まさる・作詞 小山作之助・作曲 「日本海軍」の譜
「ロシヤは『永久に占領するつもりはない』と宣言しながら南下を続けた
このままでは朝鮮・対馬と南下してくるのは目に見えている
日本はロシヤと対決せざるを得なくなっていったのだ
伊藤博文はロシヤと協調を試みたが成果は芳しくなく 結局は小村寿太郎の対露路線で決定
35年には 長い間孤立政策を取っていた英国と日英同盟を結ぶ
ロシヤの南下は支那の利権を狙う英国にとってもよろしくなく また極東における英国の優位を保つことにもなる為 好都合だったわけだ
それを受けロシヤは満洲から撤兵すると宣言
しかし第一次撤兵のみで以後の撤兵はせず また 清に対し『撤兵の代償』として満洲における独占的権利を要求
兵力を増強し 36年5月には満洲と朝鮮の境 鴨緑江まで進出した
8月 日本は撤兵を求めたがロシヤはこれを拒否し満洲の占領を宣言
交渉はしたものの成果は出ず 翌年2月4日に国交が断絶され
我が軍は8日に仁川沖 9日には旅順のロシヤ艦隊を奇襲攻撃
そして10日に宣戦の大詔が降ったのだ」
「露国に対する宣戦の詔勅」
天佑を保有し万世一系の皇祚を践める大日本帝国皇帝は 忠実勇武なる汝有衆に示す
朕 茲に露国に対して戦を宣す
朕が陸海軍は 宜く全力を極めて露国と交戦の事に従うべく 朕が百僚有司は宜く各々其の職務に率い
其の権能に応じて国家の目的を達するに努力すべし 凡そ国際条規の範囲に於て一切の手段を尽し遺算なからんことを期せよ
惟うに文明を平和に求め 列国と友誼を篤くして以て東洋の治安を永遠に維持し 各国の権利利益を損傷せずして
永く帝国の安全を将来に保障すべき事態を確立するは 朕夙に以て国交の要義と為し 旦暮敢て違わざらんことを期す
朕が有司も 亦 能く朕が意を体して事に従い 列国との関係年を逐うて益々親厚に赴くを見る
今 不幸にして露国と釁端を開くに至る 豈朕が志ならんや 帝国の重を韓国の保全に置くや一日の故に非ず
是れ両国累世の関係に因るのみならず 韓国の存亡は実に帝国安危の繋る所たればなり
然るに露国は其の清国との明約及び列国に対する累次の宣言に拘わらず
依然満洲に占拠し益々其の地歩を鞏固にして 終に之を併呑せんとす
若し満洲にして露国の領有に帰せん乎 韓国の保全は支持するに由なく 極東の平和 亦素より望むべからず
故に朕は此の機に際し 切に妥協に由て時局を解決し 以て平和を恒久に維持せんことを期し
有司をして露国に提議し 半歳の久しきに亙りて屡次折衝を重ねしめたるも
露国は一も交譲の精神を以て之を迎えず 曠日弥久徒に時局の解決を遷延せしめ
陽に平和を唱道し 陰に海陸の軍備を増大し 以て我を屈従せしめんとす
凡そ露国が始より和を好愛するの誠意なるもの毫も認むるに由なし
露国は既に帝国の提議を容れず 韓国の安全は方に危急に瀕し 帝国の国利は将に侵迫せられんとす
事既に茲に至る 帝国が平和の交渉に依り求めんとしたる将来の保障は今日之を旗鼓の間に求むるの外なし
朕は汝有衆の忠実勇武なるに倚頼し 速に平和を永遠に克復し 以て帝国の光栄を保全せんことを期す
明治37年2月10日 御名御璽
「こうして日露戦争が始まった」
「その奇襲攻撃の歌とかはないの?」
「知らん」「っておい」
「大した戦果でも無いしな」「というか」
「ん」
「日露戦争期には軍歌が粗製濫造されたのであまり残ってないのよ 」
「なんじゃそら……」
「仮に作られてたしても当時の資料を取り寄せないと載っていないわ」
「むう……」
「一応主軸は『日本のうた』だから歌われてないものは極力割愛する」
「血潮と交えし(討露の歌)」
東京高等商業学校(現・一橋大学) 菅礼之助・作詞 一橋会音楽部・作曲
「ウラルの彼方(征露の歌)」
第一高等学校 青木得三・作詞 栗林宇一・作曲 「アムール河の流血や」の譜
「これまた長いわね」
「昔の歌は長いの多いわよ
レコードに録音するわけでもないから」
「ふむ」
「レコード時代になると3分半くらいまでに収めないといけないから
4番とか5番で終わる曲が増えるけどね 前奏や間奏なんかもいるし」
「なるほど」
「『血潮と交えし』の3番にある『キシネーフに塁死あり』とは
ロシヤの民衆がキシネフのユダヤ人を殺害した事件のことだ」
「今でこそ ユダヤ人迫害はドイツの専売特許みたいなイメージがあるけどね」
「イメージね」
「その手の話題は危険なので触れません あしからず」
「何の事だ?」
「さあ」
「むう」
「この歌は開戦直後に作られたものだ
また以下のような軍歌も作られている」
「日露軍歌」
大和田健樹・作詞 田村虎蔵・作曲
露軍討つべし破るべし われら同胞四千万
ひとつ喉より発したる 声は天地に響きけり
わが忠勇の軍隊が 血を流したる遼東に
干渉したる三国の 首謀は彼ぞ露政府ぞ
忘れはすまじ記憶せん わが同胞の四千万
北清事変のあしたにも われに加えし亡状を
無礼に無礼加えたる 鷲(わし)は次第に羽(は)を伸(の)して
侵略はかる亜細亜(アジヤ)の地 討つべき時は今なるぞ
かれ満洲を居ながらに 奪(と)らんと巧む念ふかく
爪牙は早もあらわなり 討つべき時は今なるぞ
かれ朝鮮をおのが手に 入れんと望む慾ふかく
奸計かくるるところなし 討つべき時は今なるぞ
討てや破れや敵兵を 天地ひらけし始めより
かつて一度も外(と)つ国の 侮り受けぬ我が国ぞ
わが東洋を蹂躙し わが国権を軽蔑し
あくまで誇るロシヤ軍 平和の敵は彼なるぞ
(中略)
むらがり浮かぶ艦隊も 逆まく波の底ふかく
うち沈めたる心地よさ はや海権は我がものぞ
陸には満洲旅順口 跋扈したりし敵兵を
微塵に破り退けて 次第に進む日章旗
その旗風の吹きわたる ところになびかぬ草木なく
見よやウラジオストックの 港乗っ取る日本軍
隊伍正しく威儀たけく 向う矢先に敵ほろび
シベリヤ鉄道占領し 今は乗り込む露都の街
セントピートルスボルグの 街に露兵のかげ絶えて
響くは日本軍歌の譜 天皇陛下万々歳
壮快壮快大壮快 のぼる朝日ともろともに
地球の上に照りわたる 国の威光はこのときぞ
こだまに返す勝ちどきの 声は四海にみちみちて
ウラルの山の峰までも 北氷洋の底までも
(明治37年2月)
「この『日露軍歌』の後半はいつもの楽しい架空戦記です」
「しかしどれも似たような詞ね」
「まあ ロシヤへの恨み辛みを並べ立てて 進攻していく内容を書くから当然といえば当然」
「それもそうか」
「さて 開戦はしたわけだが 我が海軍は港内に潜むロシヤ旅順艦隊を攻めあぐねていた
そこで計画したのが旅順港閉塞作戦だ狭い旅順港口に老朽船を沈めて港外に出られぬようにしようとしたのだ
生還が期しがたい作戦であったため志願兵を募ったところ 2000名が名乗りを上げた
総ての乗組員が志願した艦もあり 血書による嘆願書を出したものもあったという」
「艦の乗組員全員って それって自由意志……?」
「そういうことになっている
今となってはよくわからないしな」
「そんなことを一々あげつらって閉塞隊員の功績にけちつけるのはいかがなものか」
「う〜ん……」
「兎も角 2000もの志願兵があり この中から77名が選ばれ 2月24日作戦が決行されたが失敗に終わった
この時の事を歌った軍歌が『決死隊』だ
その後も旅順艦隊に効果的損害を与える事が出来ず 3月27日 第二回旅順口閉塞作戦が決行された
しかしこれもまた失敗に終わる
この時福井丸の指揮していた広瀬武夫少佐は 福井丸が沈み始めた為ボートに乗り移ったが
杉野孫七上等兵曹の姿がない事に気付くと 再び沈みゆく船に戻り
『杉野は何処だ! 杉野はいないか!』
と三度にわたって船内を隈なく探したが 結局見つける事は出来なかった
中佐は部下に促されてやむなく再びボートに移り その場から脱しようとしたその刹那
敵弾が飛来し 少佐は一片の肉塊を残して姿を消してしまった
後 杉野上等兵曹は特進して曹長に
少佐もまた 一階級特進して功三級に叙せられ 初の軍神となった
出撃の前に家族に当てた手紙には こう書かれていたという
七生報国 一死必堅 再期成功 含笑上船」
「広瀬中佐」
文部省唱歌
「広瀬中佐」
大和田健樹・作詞 納所弁次郎・作曲
第一回閉塞作戦時の報国丸乗組員 下段の右から三人目が中佐 |
福井丸乗組員 向かって左側が中佐の肉片が収められた小箱 |
杉野曹長 遺詠
国のためとゝせのむかし死する身の 今日ありしとは思はざりけり
身はうせて海のもくずと化するとも たましいのこすとつ国の浦
死ねば今 地獄の門の出来ぬ間に
「同じくこの形式を模したコンテンツで
『轟く砲音』を大和田健樹作詞と紹介しておられるサイトがありますが これ 作詞者不詳です 文部省唱歌の多くが公開されていないから」「一説によると巌谷小波らしい」
「そんなこと気にするのこの作者ぐらいだと思うわ」
「まあ 日本のうた講座ですから」
「世間一般の日本のうたとは大分違うけどね」
「広瀬中佐を称えた歌は 私が把握しているだけでもこのほかに
『日本海軍』の譜で歌うものと唱歌 そして添田唖蝉坊の演歌の3曲がある
ここからも軍神広瀬中佐の存在の大きさが窺われる」
「杉野曹長は実は救助されて生きていたとかいう話もあるわ」
「岸壁の母の息子さんも生きていたらしいわね そういえば」
「あれは本当の話だけど こっちは真相不明よ」
「ふむ」
「どこで知ったんだそんな事……」
「それはもちろんワイドショーで」
「時代設定がさっぱり分からん……」
「ではここらで一休みするか」
「容量ね」
「うむ」