1時間目
「明治維新〜宮さん宮さんお馬の前に〜」



「では授業を始めます」

「待った」

「何?」

「状況がよくつかめないんだけど」

「大丈夫 私もよくわかっていないから」

「はい?」

「中学レベルの日本史とそれにまつわる歌を紹介しろとの指令です」

「指令って誰のよ……」

「ゲオルグ・ハスキルから」

「ああ あのトレジャー馬鹿」

「自分の一座の団長を馬鹿呼ばわりするのはどうかと思うわ」

「事実ですから」

「それもそうね」

「で 中学レベルって何」

「細かくやることにあまり意味がないから 大まかな流れさえ分かればいいのです

そもそも日本史講座ではなく日本の歌講座だし」

「ふむ……しかし何でよりによって私たちなわけ」

「これを企画した人が他のアニメ知らないから

辛うじて『機動戦艦ナデシコ』を見てるぐらいだし そんな知識でやるわけにもいかないのです

試作品としてはこんなのもあるけど

「むう……」

「ま というわけで授業開始です

まずはじめの先生をお呼びします」

「自分ではやらないの?」

「趣味じゃないから」

 

 

 

「……」

「ツルギ・ケンノスケ 国籍は朝鮮だったわね じゃあ授業を……」

「あれ? ケンノスケはたしかチャイニーズのはずよ」

「いや 日本人なんだけど……」

「あらそう まあ似たようなもんだし」

「まあね」

「なんだと! チャンチャンや鮮人なんかと一緒にするな この毛唐が!」

「いきなり問題発言です」

「言ったのは私じゃないわよ そこの黄色いサ……自称日本人」

「いい? ヨイコのみんなは真似しちゃ駄目よ」

「日本人だろうが支那人だろうが鮮人だろうがどうでもいいのでさっさとはじめてください 先生」

「自分だって使ってるし……」

「鮮人は只の略称だし 支那にいたっては当の支那人が自分で言い出したものよ」

「え」

「サンスクリット語に『支那』という字を当てたの

その証拠に『支』にも『那』にも悪い意味はないわ

『支』は周知の通り『支える・わける』という意味だし 『那』は『安らか・美しい』という意味を持つ字よ

疑うのなら漢和辞典を見てね ちゃんと書いてあるから」

「ふむ」

「悪意なく『チャンチャンさん』とか使っている人もいるとは思うけど それはそれ

とりあえず『支那』という言葉に侮蔑の意味は含まれていない」

「ふむぅ」

「兎も角 何人だろうがどうでもいいのでとっととはじめてくださいな」

「よくない! 断固抗議する! 即刻謝罪と賠償を……

「やっぱり朝……」

「本当の事でもあまりしつこく言うのはかわいそうよ」

「そうね それにあまりやりすぎると 夜道で『誰だお前は うわ何をする気だ やめ……』ってことになりそうだし」

「うんうん」

「ああ福沢先生……日本は未だに支那や朝鮮と同一視されています」

「あなたの先生は二宮忠八でしょ」

「そんなことより授業よろしく」

 

 

 

「慶応3年(1867年) 15代将軍徳川慶喜は,朝廷に政権を返上し,700年間続いた武士の世が終わった

朝廷は王政復古の大号令を発し,天皇中心の新政府を組織,

小御所会議を開き,慶喜に対し辞官納地を命じた」

「辞官納地って何?」

「ええと……」

「内府の地位を辞して所領を返上すること」

「そうそう それだ

で これに反発した幕府軍1万5000が,翌年,鳥羽伏見において新政府軍4500と激突

こうして1年半に及ぶ戊辰戦争の幕が切って落とされた」


 

「都風流トンヤレ節(宮さん宮さん)」
品川弥二郎・作詞  大村益次郎・作曲



宮さん宮さん 御馬(おんま)の前に
ひらひらするのは 何じゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
あれは 朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ 知らないか
トコトンヤレトンヤレナ

一天万乗の 帝王(みかど)に手向かい
帝王に手向かい する奴を
トコトンヤレトンヤレナ
狙い外さず どんどん打ち出す
どんどん打ち出す 薩長土
トコトンヤレトンヤレナ

ふしみ鳥羽淀 はし本くずはの
はし本くずはの 戦いは
トコトンヤレトンヤレナ
薩土長士の おおたる手際じゃ
おおたる手際じゃ ないかいな
トコトンヤレトンヤレナ

音に聞こえし 関東侍
どっちへ逃げたと 問うたれば
トコトンヤレトンヤレナ
城も気概も 捨てて東(あずま)へ
捨てて東へ 逃げたげな
トコトンヤレトンヤレナ

国をとるのも 人を殺すも
たれも本気じゃ ないけれど
トコトンヤレトンヤレナ
わしらがところの お国へ手向かい
お国へ手向かい する故に
トコトンヤレトンヤレナ

雨の降るよな 鉄砲玉の
鉄砲玉の 来る中に
トコトンヤレトンヤレナ
命惜しまず 先がけするのも
みんなお主(しゅ)の 為故じゃ
トコトンヤレトンヤレナ

(明治元年)


 


都風流トンヤレ節


 

「これが日本初の軍歌さ

で 東征大総督に任じられたのが有栖川宮識仁親王」

「異議あり 東征大総督になったのは有栖川宮熾仁親王です」

「あれ そうだっけ」

「有栖川宮識仁って去年詐欺して捕まった人じゃなかったっけ」

「そう 今時 大礼服を着てたあの人です

参加してた芸能人は『軍服を着てた』とか言ってましたがあれは大礼服です

間違うなんて 本当嘆かわしい事です」

「大礼服がわからなかったことが嘆かわしいのか……」

「いえ

嘆かわしいのは 某自称日本人が有栖川宮殿下とどこぞの詐欺師とを間違えたことです」

「同感」

「う…… まあどっちでもいいや」

「よくない」

「ごほん

で 幕府軍は五稜郭の戦いで破れ戊辰戦争が終わった 以上」

「……え もう終わり?」

「さっき大まかでいいって言ってたし」

「もう少し細かくやりなさい」

「諒解……

幕府軍は鳥羽伏見の戦いに敗れ敗走

朝廷は慶喜追討令を発し 官軍は錦の御旗を先立てて東征を開始

4月に江戸城が無血開城

東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結成

同年9月 会津藩は若松城にて幕府軍を迎え撃ったが敢無く落城した」


 

「白虎隊」
作詞者未詳  田村虎蔵・作曲



霰のごとく みだれくる
敵の弾丸 ひきうけて
命を塵と 戦いし
三十七の 勇少年
これぞ 会津の落城に
その名聞こえし 白虎隊

味方少なく 敵多く
日は暮れはてて 雨暗し
はやる勇気は たわまねど
疲れし身をば いかにせん
倒るる屍(かばね) 流るる血
たのむ矢玉も つきはてぬ

残るはわずかに 十六士
「一たび あとに立ち帰り
主君の最後に あわばや」と
飯盛山に よじのぼり
見れば早くも 城落ちて
焔(ほのお)は 天をこがしたり

「臣子の務は これまでぞ
いで いさぎよく死すべし」と
枕ならべて こころよく
刃に伏しし 物語
伝えて今に 美談とす
散りたる花の かんばしさ

(明治38年1月)


「落城の際 15歳から17歳の少年から成る白虎隊が主君に殉じて自決したんだけど

これはそのときの事を題材にした文部省唱歌」

「異議あり 白虎隊が自決した時 まだ会津若松城は陥落していません」

「いいじゃないか そんな細かいこと」

「自分の国の歴史を語れないのならサムライを名乗る資格はないわ」

「う……」

「これ40年近くたってからの歌だけれど 他のはないの?」

「おいらは知らない 昭和になって出来た歌ならあるけれど……」

「けれど?」

「著作権が残ってるから載せられないんだ」

「載せなさい」

「無理無理 泣く子とJ○SRACには勝てないよ」

密航してきたくせにそんなことは気にするのね」

「てっきり『不逞鮮人〜密入国の記録〜』かなんかだと思っちゃった」

「いつもいつも朝鮮ネタばかりやってられませんから

じゃ続きよろしく」

「翌年五月 函館の五稜郭に立て籠もっていた幕府軍が降伏しついに戊辰戦争は終わった

こうして新政府は近代化の為の諸政策を推し進めていく事になる

でも巷では『上からは、明治だなどというけれど 治まる明(めい)と下からは読む』なんて狂歌が詠まれたりもした」


 

「オッペケペー」
川上音次郎・作詞  作曲者未詳



亭主の職業は知らないが おつむは当世の束髪で
言葉は開化の漢語にて 晦日(みそか)の断り洋犬(カメ)だいて
不似合いだ およしなさい 何にも知らずに知った顔
むやみに西洋を鼻にかけ 日本酒なんぞは飲まれない
ビールにブランデー ベルモット 腹にも馴れない洋食を
やたらに食うのも負け惜しみ 内証でそっとへどはいて
まじめな顔してコーヒ飲む おかしいネ
オッペケペー オッペケペッポー ペッポーポー

米価騰貴の今日に 細民困窮かえりみず
目深にかぶった高帽子 金の指輪に金時計
権門貴顕に膝をまげ 芸者幇間(ほうかん)に金をまき
内には米を蔵に積み 同胞兄弟見殺しに
いくら慈悲なき欲心も あまり非道な薄情も
但し冥土のおみやげか 地獄で閻魔に面会し
賄賂使うて極楽へ 行けるかえ 行けないよ
オッペケペー オッペケペッポー ペッポーポー

権利幸福きらいな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい
オッペケペッポー ペッポーポー
かたい上下(かみしも) 角取れて マンテルズボンに人力車
粋な束髪ボンネット 貴女(きじょ)に紳士のいでたちで
うわべの飾りはよいけれど 政治の思想が欠乏だ
天地の真理がわからない 心に自由の種をまけ
オッペケペー オッペケペッポー ペッポーポー

洋語をなろうて開化ぶり パン食うばかりが改良でない
自由の権利を拡張し 国威を張るのが急務だよ
知識と知識の競べ合い キョロキョロいたしちゃ居られない
究理と発明の先がけで 異国に劣らずやっつけろ
神国めいざだ 日本ポー

(明治23年)


 

「自由の権利を主張する一方で 国力増強も謳うというのは今じゃ考えられないわね

軍歌なんかと比べてもさらにマイナーだけど こういった演歌も時代を色濃く反映しているわ」

「演歌? これが?」

「今の演歌は演歌にして演歌にあらず」

「?????」

「演歌の『演』の意味分かる?」

「え〜と 演ずる?」

「演説の

自由民権運動家が演説の代わりに歌ったから演歌というの」

「へぇ〜」

「あの 続けてよろしいでしょうか」

「あ どうぞ」

「明治4年 新政府は廃藩置県を断行 一適の血も流さずに封建制度の撤廃に成功

6年に徴兵制を施行した

9年にはそれまで士族に支払っていた家禄を打ち切ったが

翌10年 鹿児島の不平士族が西郷隆盛を戴いて決起し 西南の役がはじまった

薩摩軍は熊本城への攻撃を開始したが一向に落ちない

そうこうしている内に官軍が九州に上陸 薩摩軍はこれを田原坂(たばるざか)で迎え撃った


 

「田原坂」
熊本県民謡



雨は降る降る 人馬は濡れる
越すに越されぬ 田原坂

右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱
馬上ゆたかな 美少年

山にしかばね 川に血流る
肥薩の天地 秋寂し

草をしとねに 夢やいずこ
明けのみ空に 日の御旗

西郷隆盛 話せる男
国の為なら 死ねというた

田原坂なら 昔が恋し
男同士の 夢の跡

春はさくらよ 秋なら紅葉
夢も田原の 草枕

泣いてくれるな 愛しの駒よ
今宵しのぶは 恋じゃない

阿蘇の御神火(ごじんか) 心に抱いて
九州男児の 血は熱い

退くに退かれぬ 田原の嶮は
男涙の 小夜嵐

(明治10年)


 


田原坂の戦い


 

「激戦17昼夜 糧秣弾薬の尽きた薩摩軍は崩壊し ここに西南の役の大勢が決した

この田原坂の戦いでの官軍の斬りこみ隊を題材にした軍歌に以下のようなものがある」


 

「抜刀隊」
外山正一・作詞  ルルー・作曲



吾は官軍 わが敵は 天地容(い)れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は 古今無双の英雄で
これに従う つわものは 共に慓悍決死(ひょうかんけっし)の士
鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
起せし者は昔より 栄えし例し有らざるぞ
敵の亡ぶる それ迄は 進めや進め 諸共に
玉散る剣 抜きつれて 死する覚悟で進むべし

皇国(みくに)の風と もののふは その身を護る魂の
維新この方 廃れたる 日本刀の今更に
また世に出づる身の誉れ 敵も味方も諸共に
刃の下に死すべきに 大和魂あるものの
死すべき時は今なるぞ 人に後(おく)れて恥かくな
敵の亡ぶる それ迄は 進めや進め 諸共に
玉散る剣 抜きつれて 死する覚悟で進むべし

前を望めば剣なり 右も左もみな剣
剣の山に登るのも 未来の事と聞きつるに
此の世に於て目のあたり 剣の山に登るのも
我が身のなせる罪業を 滅ぼす為に非ずして
賊を征伐するが為 剣の山も何のその
敵の亡ぶる それ迄は 進めや進め 諸共に
玉散る剣 抜きつれて 死する覚悟で 進むべし

剣の光ひらめくは 雲間に見ゆる稲妻か
四方(よも)に打ち出す砲声は 天に轟く雷(いかずち)か
敵の刃に伏す者や 弾に砕けて玉の緒の
絶えて果敢(はか)なく失(う)する身の 屍は積みて山をなし
その血は流れて川をなす 死地に入るのも君の為
敵の亡ぶる それ迄は 進めや進め 諸共に
玉散る剣 抜きつれて 死する覚悟で 進むべし

弾丸雨飛の間にも 二つ無き身を惜しまずに
進む我が身は野嵐に 吹かれて消ゆる白露の
果敢なき最期を遂ぐるとも 忠義のために 死する身の
死にて甲斐あるものならば 死する更にうらみなし
われと思わん人たちは 一歩も後(あと)へ引くなかれ
敵の亡ぶる それ迄は 進めや進め 諸共に
玉散る剣 抜きつれて 死する覺悟で 進むべし

吾今ここに 死なん身は 君の為なり 国の為
捨つべきものは命なり たとい屍(かばね)は朽ちぬとも
忠義の為に捨つる身の 名は芳しく後の世に
永く伝えて残るらん 武士と生れし甲斐もなく
義のなき犬と言わるるな 卑怯者とな謗(そし)られそ
敵の亡ぶる それ迄は 進めや進め 諸共に
玉散る剣 抜きつれて 死する覚悟で進むべし

(明治18年7月)


 

「敵将西郷隆盛を『古今無双の英雄』と評したところに この時代がうかがわれる

この西南の役をもって完全に武士の時代は終わったんだ

因みに この歌は行進曲として編曲され『分裂行進曲』が出来た」


「異議あり 『分裂行進曲』ではなく『分列行進曲』です」

「分裂と分列では全然意味が違います 先生」

「また間違った……

……では続けます」

「もう結構」

「え」

「逐一訂正するのも面倒なので先生を交代します

後 奥羽越列藩同盟とか細かい事はやらなくていいです」

「うう……」

「次回は本来ならば日清戦争の予定だったんだけど

西南の役以後ということで……」

 

 

 

「次回 2時間目『日清戦争〜まだ沈まずや定遠は〜』」

「大東亜戦終戦まで後ざっと70年」

 

2時間目「日清戦争」を受講する

戻る